異動願を出した倫子

「奥野、お前だろ」

橋本の本社最終出勤日。荷物をまとめた段ボールを抱えた橋本が、倫子をにらんだ。

「さあ、なんのことですかね」

「……とぼけやがって」

橋本は倫子にだけ聞こえるような声量で、ぼそりと吐き捨てた。

「お世話になりました。課長のご指導のおかげで、自分の働き方を見直すこともできたので、感謝してますよ」

倫子はボールペンをカチカチと鳴らし、口角を釣り上げた。何かを言い返そうとした橋本だったが、周囲の社員たちの視線がそれを制する。課長という権力を失った橋本は、会社にとっても社員にとっても、ただの不良債権でしかなかった。

橋本の左遷と同時に、倫子は空いた課長のポストへと推薦を受けた。しかし倫子はこれを断り、異動願を人事部に提出した。

願い出た異動先は人事部。

最後まで気丈に振る舞ってみせたものの、今回、営業部で橋本から受けた仕打ちは倫子にとって本当につらいものだった。それに今回の一件で、この会社がまだまだ女性にとって働きづらい会社であることもはっきりと分かった。

だからこそ、頑張った人が正当に評価される会社にしたいと思った。それにまだ、社内では自分のようなつらい思いをしている社員がまだいるかもしれない。そんな社員の力になりたいと、倫子は強く思ったのだ。

2人の新学期

人事部で働くようになって半年が過ぎ、真悠は無事に第1志望の中学に合格をすることができた。

まだ真新しいセーラー服は、真悠のからだには少し大きく、着ている姿はどこか初々しい。

「それじゃ、お母さんもう行くからね。ちゃんと鍵閉めてから出掛けるのよ」

「分かってるよ。行ってらっしゃい」

トーストをかじっている真悠に見送られる幸せをかみしめて、倫子は会社へと向かった。

複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。