7年越しの秋の約束
実家の居間や台所に達子の姿は見えなかった。沙織はトイレや風呂場をのぞき込み、2階に上がって寝室を確認する。やはりどの部屋にもいなかったが、寝室の窓から見える階下の庭に、柿の木を見上げる達子の姿をようやく見つけることができた。
「こんなところで何してんの。もう冷えてきたし、中入ろ。風邪引くよ」
沙織は庭に出て、達子の後ろ姿に声をかける。しかし達子は柿の木の前に立ったまま、聞こえているのか聞こえていないのかも分からず、動く気配はなかった。
「お母さん?」
「もう少しだね」
「もう少し?」
ため息を吐くようにつぶやいた達子に、沙織は聞き返す。思えば、この柿の木はいつからここにあるのだろうか。庭いじりの趣味が高じて、食卓には庭で取れた野菜や果物が並ぶことも多かった。しかし沙織の記憶に、庭で取れた柿が並んだことはない。
「桃栗3年柿8年とは言うけどね、柿っていうのはだいたい7年くらいで実をつけるらしいんだよ。今年で6年目。とうとう来年には実が成るかもしれないよ」
「そう。そんなにたつんだ。もし実が成ったら絵里も喜ぶかもね。あの子、柿好きだから」
「ふふふ。たくさん成るといいねぇ」
そう言って柿の木を見上げながらほほ笑む達子に、沙織はハッとした。まだ小学校に上がりたてだったころ、どうしてもいっぱい柿を食べたいとせがんだ絵里が、種を埋めるんだと駄々をこねたことがあった。達子は絵里を庭へ連れて行き、好きなところに埋めてごらんと伝えた。絵里は庭の一角に――たしかこの場所に柿の種を埋めていた。
『おばあちゃん、来年はいっぱい柿食べれるかな』
『どうだろうねぇ。桃栗3年柿8年って言うからねぇ。絵里がうんと大きくならないと、柿は食べられないかもしれないねぇ』
『えー、そんなの忘れちゃうよ』
『大丈夫。おばあちゃんがちゃんと覚えておいて、たくさん柿の実が成るようにお世話するからね』
『ほんと⁉ 約束だよ?』
『もちろん。約束するよ』
あのときは駄々をこねる絵里を納得させるための方便だと思っていた。その証拠に、さすがに翌年くらいまでは植えた柿の様子を気にしていた絵里も、成長とともに柿の木のことなんて忘れている。
しかし達子は違ったのだろう。絵里が成長して約束を忘れても、中学に上がって始めたテニス部が忙しくて、小さいころはあれほどべったりだった祖母の家にめっきり顔を出さなくなっても、あのときの約束を今もなお覚えていて、柿の木が実をつけるのを楽しみに過ごしている。
「お母さん。もしかして、うちで一緒に暮らすの断ってたのって、この柿が理由?」
風が吹いた。落ち葉が舞って、夏よりも元気のなくなった草木が寂しげに擦れていた。
「寒くなってきたねぇ。毎年、秋が短くていやになるよ」
達子は答えずに、部屋のなかへと戻っていった。
沙織はもう一度、立派に育ちつつある柿の木を見上げた。もう少し、少なくともあと1年、柿が実をつけるまでは、頑固で孫思いな達子のわがままに付き合ってあげるのも悪くないのかもしれないと思った。
「お母さーん、今度、絵里たちも連れてくるから、みんなで鍋でもしようよ」
達子の背中を追いかける沙織の背中を、さわやかな秋風が押した。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。