時刻は夜の11時を回ろうとしていた。リビングのテーブルに座って里奈はスマホの画面を見てため息を吐く。「今日は遅くなるの?」と大学生の息子・孝にチャットを送ったが、既読がついただけで返事は返ってこない。コンロの上のフライパンに用意してあるハンバーグはもう完全に冷え切って、白い脂が浮いている。孝はここ最近、帰りが遅い。バイトやサークルで忙しいのは分かるが、帰ってきても寝てるばかりで、まともに会話した記憶すらあやふやだ。
里奈は仕方なく先に風呂に入ったが、風呂から出てもまだ孝は帰ってきていなかった。先に寝てしまおうかと思ったころ、ようやく玄関の鍵が開く音がした。出迎えに向かった玄関で、里奈を見た孝はただいまも言わずにすぐに目線をそらし、部屋に戻ろうとする。
「ねえ、ご飯できてるけど?」
「いいよ。友達と食べてきたから」
ぶっきらぼうな物言いに、里奈はわずかにいら立った。
「あのさ、大学行って、バイトとかサークルが忙しいっていうのは分かるけど、チャットの返事くらいできるでしょ。孝の分のご飯だって準備してるんだからね」
「……別に食えって言われたら、食うよ。でも、その前に着替えさせて」
孝は部屋に戻っていった。大学生なのだからいつまでも母親にべったりなのもどうかと思うが、1年生のころはよく夕方過ぎに帰ってきて、一緒に夕飯を食べていた時期もあった。しかし2年生に上がってから、孝は急に家に寄りつかなくなってしまった。アルバイトが忙しいと言っていたが、毎日こうだと疑いたくもなる。仮に本当にアルバイトで遅くなっているのだとしても、できることなら学業に専念してほしいと思うのも親心だ。
里奈はあまりその部分を責めることができずにいた。夫の洋祐は、孝がまだ14歳のときに亡くなっている。原因は交通事故だった。保険金や賠償金も支払われたし、里奈自身も懸命に働いて孝を育ててきた。だが、生活が豊かであるということは全くない。学資積立や奨学金などいろいろな方法を駆使することで、ようやく大学に通わせることができている。一般家庭と比べて、生活水準は決して高くないだろう。