差し押さえはそう簡単にはできない

ではなぜ契約書があるのに解決といかないのだろうか。それは契約書の効力の強さにある。

たしかに契約書があることによって契約の条件が明確になっている。だがしかし、一般的な契約書の効力はそれだけにとどまるというのが現実だ。お金の貸し借りという契約の成立はすでに達成されている。契約書の有無はその証拠に過ぎない。

現実的にその契約書をもとにして強制執行するのであれば、裁判所で訴訟を行い、そこで勝利し、最終的にお金が入っている銀行口座を具体的に特定し、差し押さえの手続きを実行しなければならない。

この手続きは家族とはいえ非常に難しい。契約書があれば裁判で勝つことは可能であるとしても、その後相手にお金があるか、お金があっても具体的な口座まで特定できるのかが問題となる。

裁判に勝って差し押さえができたとしても、どこに強制執行できる財産があるのか具体的に特定できないと意味がない。もし差し押さえを実行した銀行口座にお金が入っていなければその差し押さえは空振りに終わる。

家族間であればどこの銀行口座にどれくらいお金があるか大体想像がつくと思う方もいるだろう。だがライフステージが変わったり、銀行を変えたり、別の資産に変換してるなどとなれば皆目見当がつかないこともある。そもそも訴訟を含む裁判上の手続きは非常に時間も労力もかかる。そしてある程度の知識も必要となる。

結局のところ体調も鑑み、芳香さんは泣き寝入りとなった。