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原にとって健太が初孫だった。今では、健太の他に3人の孫がいた。中でも健太が一番、原になついていた。健太の父親、早智子の夫である井上純也(40歳)は商社に勤めていて、海外も含めた出張が多かった。今も、ベトナムに長期出張中で年内は戻れないだろうということだった。健太は早智子に連れられて小さな頃から、よく原の家を訪ねてきていた。特に、公子が亡くなってからは「おじいちゃんが寂しいから」と1月に1回くらいはやってくるようになっていた。
小さい頃から父親不在の期間が長い健太にとって、原は父親の代わりのような役割があるようだった。テレビゲームをひとしきり遊んだ後で、健太は腹の手を引いて「公園へ行ってサッカーしよう」と言い出した。サッカーは健太の父親の井上が得意で、健太とはよくボールを蹴って遊んでやっていた。原はスポーツが得意な方ではなかったが、健太に頼まれると断れず、ボールを出して近所の公園に向かった。
原が郊外の戸建てを売却し、駅前のマンションに引っ越したことによって、長男の翔一(40歳)や早智子らがよく訪ねてくれるようになった。子どもたちにすれば、公子を失くして1人で暮らし始めた原が心配なこともあったのだろう。毎週のように、週末には翔一か早智子が孫を連れてやって来た。そうして孫の相手をしていると、原の気持ちが少しずつ変化してきた。公子を失って、文字通りの「余生」と思われていた日々が、「孫のために何かできるのではないか」と考え始めたのだった。