<前編のあらすじ>

FIREを目指してひたすら効率的な資産運用を追求していた小笠原大地(36歳)は、寝食も忘れて運用に取り組んだために、衰弱してしまう。その様子をみた玉枝(74歳)は、小笠原に資産運用会社への転職を勧め、自ら経験した資産形成の成功体験を語り聞かせたのだった。その内容とは……。

●前編:アラフォー男の転職、FIREを目指して働くのにおすすめの企業とは?

資産形成に特別な才能は必要ない

玉枝が小笠原に語ったのは、自身の資産形成についての成功体験だった。これから資産運用業界に飛び込み、自らの資産も大きく増やしたいと考えている小笠原に対するエールのつもりだったのだろう。

玉枝の資産形成の成功体験といっても、それは就職先の証券会社で持株会に加入し、自社株を購入したことが全てだった。玉枝は語った。「最初は、会社から推奨されていたから、仕方なしに始めた。当時(1970年)は、持株会制度が整備された頃だったので、証券界として、この制度を広めたいという思いが強かった。従業員には率先して持株会への参加が奨励されていた。新入社員に、それを拒むことなどできなかった。そして、従業員持株会に入ると、毎月の給料から5000円ずつ天引きされるようになった。給与天引きだから、特別な負担感はなく、そのうち持株会で毎月天引きされていることも意識しなくなった。当時の株価は、だいたいどこの会社の株価も50円くらいのものだった。当時の株券の額面が50円だったから、50円というのが基準のような株価だった。

ところが、気が付くと株価が300円を超えていた。持株会を始めて2年足らずだったのに、株価が6倍になったことにびっくりした。当時は、「日本列島改造」が流行語で、「カネ余り相場」などという言葉もあった。物価(消費者物価指数)が16%を超えるインフレだった(1973年度)。証券会社の時代がやって来たというムードだったから、毎月の積立額を1万円に増額した。そして、余裕があれば、積立額を増やそうと考えるようになった。

結果的に、33歳で退職するまで15年くらいは持株会で積立投資をしたことになるけど、退職時の持ち株は1万8000株くらいになっていた。会社を辞める時に持ち株も売却したのだけど、当時の株価は4000円くらいだったので6500万円くらいのお金になった。その後も株価は上がり続けて結局は6000円くらいまで上がったから、それまで持っていれば、1億円を超えるお金持ちになったのだけど、欲を言ったらきりがない」と玉枝は当時を懐かしむように遠い目をして言った。