小笠原大地(36歳)が会社を辞めた。その会社「アザミスーパーマート」でパートタイマーとして働く宮崎明日香(39歳)は、パートタイマーの管理責任者である小笠原とは何かと関わりがあり、また、小笠原の資産運用の件で、かつて証券会社に務めていた母親の玉枝(74歳)とも個人的に接点があったため、小笠原の転身の事情も知っていた。ただ、同社の社内では、小笠原が退職理由の1つにあげた「未上場企業では働くモチベーションがない」という言葉が非難の的となっていた。「スーパーは日々の生活に欠かせない存在だ」と小笠原の辞表を受け取った上司は一喝したらしいが、小笠原が言いたかったのは、そのような企業価値とは異なることだった。小笠原が退職を決めた理由とは……。

資産運用の頭でっかちに訪れた転機

小笠原が辞表を提出する3カ月ほど前、明日香は玉枝と小笠原が話し合う場に立ち会っていた。寝食を忘れて資産運用にのめり込んだために、会社にも出社できないほど衰弱してしまった小笠原に対して、玉枝は「いっそのこと、資産運用を職業にしたらいい」と言っていた。小笠原が望むのであれば、運用会社との間を取り持ってくれるエージェントを紹介すると言った。小笠原は、その場では、少し考えさせてほしいと言っていたが、翌日には玉枝に詳しい話を聞かせてほしいと言ってきた。

玉枝が小笠原に話したのは、「四六時中、相場のことを考えられるのは1つの才能。運用会社のファンドマネージャーの中には、ニューヨーク市場の動向が気がかりで会社に寝袋を持ち込んで泊まり込んでしまうような人がいる。日本の株式市場の動向に米国の影響は無視できないから当然と言えば当然なのだけど、誰に言われるまでもなく、自然とプロのファンドマネージャーと同じような行動ができている。あなたから預かった運用参考資料を見させてもらったけど、運用方針の構築がユニークで、それに必要なデータもよく整理されていると思う」という評価だった。小笠原が前向きに転職を考えるのであれば、預かった資料一式をエージェントに提供し、具体的な転職候補先の選定を行ってもらうという。

小笠原は、転職については前向きに考えたいということだったが、自分自身がずっとこだわってきた「FIRE(Financial Independence, Retire Early:経済的自立、早期リタイア)」を自分自身の力で実現するということについて諦めきれないと言った。玉枝は「諦めずに自分の力で資産を増やせばいい。欧米のファンドマネージャーは、自分が運用しているファンドに自身の財産を投資して運用の仕事を通じて自身の資産を増やすことを当然のように行っている。あなた自身の運用方針で運用するファンドが実現できるかどうかは、今後の努力次第だけど、優れた運用戦略と認められる運用戦略を作ってみたらいい。その戦略に自分の資産も投入することを目標にすれば今までの努力の延長として頑張れるのでは」と言った。