広田歩はテーブルに座り、自分が今、いる場所をゆっくりと見渡した。
窓からは都内の夜景が一望できる。そして広々としたリビングにはこだわりのソファ、それ以外にも高価な家具が並んでいた。
「なあに? さっきから、ずっとキョロキョロしているけど?」
目の前のテーブルに座る妻の玲子が歩を見てクスクスと笑う。
「いや、やっぱりちょっと信じられなくて」
歩がいるのは港区の一等地に建つデザイナーズマンションの最上階。家賃もかなり高いこの部屋に歩たち夫婦は引っ越して来たのだ。
「歩が仕事で成功したからここに住めるようになったんでしょ?」
玲子の言うとおりだった。
歩は元々会社員をしていたが、大学時代の友人だった笹原洋一と一緒に企業をし、成功を収めたのだ。
「ほら、料理も冷めないうちに食べちゃって」
目の前に並ぶ料理は全て玲子の手作りだ。歩は好物のクリームパスタを口に入れる。
「うん、うまい! 玲子のパスタはホント絶品だよ。どんな高級レストランよりもおいしいね!」
「ふふ、ありがとう。ちゃんと歩の健康にも気遣っているから、安心して食べてね」
歩は血圧の高い体質だった。そのため薬を飲んでいて、食事も塩分に気を遣っていた。薄い味付けだが、それは歩のことをおもんぱかってのこと。それが分かっていたから、歩は大げさに味を褒めた。
実際、玲子は歩の感想を聞き、うれしそうに笑っている。
「玲子、今日くらいはビール、いいだろ?」
「うん、まあ1本だけね」
普段は飲まないお酒も今日だけはお許しを得た。それだけ玲子もこのマンションに引っ越せたことを喜んでいる証しだ。
歩の願い
そして食事を終え、歩は玲子にとあるお願いを切り出した。
「なあ、玲子。そろそろ仕事を辞めてくれないか?」
「え?」
実は、この話題、夫婦間で何度も行われていたものだった。
「もう俺の稼ぎだけでもお前や子供を養えるようになった。そして今後、俺の会社はどんどん大きくなっていく。仕事も忙しくなると思う。だから、玲子には家庭を支えてもらいたいんだ」
歩は玲子の目を見て訴えかけた。
玲子が今の仕事にやりがいを感じているのは知っていた。それでも歩は玲子に専業主婦になってもらいたいと願っていた。
前までは玲子に押し切られていたが、今日の歩の思いは違った。
「俺はもっともっと成功をしたいんだ。そして玲子たちを絶対に幸せにしてみせる。後悔はさせない。だから、頼むよ……!」
玲子はしばらく悩んだ様子だったが、自分を納得させるように何度もうなずく。
「……うん、分かった。私も、子供との時間を作ってあげたいと思ってたから」
玲子の言葉を聞いて、歩は大きく息を吐き出し、笑った。
「ありがとう。必ず玲子も息子も俺が幸せにするよ」
「ふふ、期待しているわよ」
そして仕事を辞めた玲子は献身的に家庭を支えてくれた。
歩も仕事により一層集中して取り組むことができるようになり、会社の業績はぐんぐん伸び続けていった。