仕事で余裕のない時期での出来事
私の勤務先はいわゆる斜陽産業の小さな機械メーカーでした。右肩下がりの業績を何とかしようと10年前には創業社長が退き、コンサルティング会社に勤務していた2代目が跡を継いだのですが、業界に疎く専門分野の知識もあまりない2代目は経費削減やリストラくらいしか手を打てず、社内の雰囲気は悪くなる一方でした。
創業時からのベテラン社員が次々と去り、給料が下がっているのに一人ひとりの業務負担は重くなる中で、中間管理職の私たちは会社だけは絶対につぶしてはならないと必死でした。しかし、コロナ禍の経済活動の制限がとどめとなり、とうとう元受けの会社に吸収されることになりました。
不幸中の幸いで極限まで減らされていた人員がこれ以上カットされることはありませんでしたが、給料や退職金の水準は元受けの規定で大きく引き下げられました。
そういう状況ですから、この10年間を振り返ると私自身も仕事で手一杯で、正直、家庭や妻のことを振り返る余裕などほとんどありませんでした。妻や子どもたちのために頑張っているんだと、自分をごまかしてきたのです。
今思えば、そんな私が偉そうなことを言える筋合いではないのですが、私は1年前のあの日、「妻失格」「母親失格」「依存症ではないのか」と妻を傷つけるような発言を連発し、妻は家を出ていきました。
後始末に追われて募る妻への怒り
心配した長女が妻と連絡を取り、妻が神奈川の実家に身を寄せていることを教えてくれましたが、私が妻に直接連絡することはありませんでした。
金融トラブルの相談窓口に問い合わせ、定期預金を解約してカードローンの返済に充て、リボルビング払いの残高を一括返済するなど妻の失態の後始末に追われ、むしろ、私の中では妻への怒りを募らせていたのです。
妻に同情的な長女からは「お父さんは冷たい」と責められ、中立的な立場の長男からも「お父さんもお母さんもいい年なんだから、いい加減止めてくれる?」と苦言を呈されました。しかし、私の方から妻に歩み寄る気持ちにはなれませんでした。