バックカントリーへの誘惑

他の同僚たちと一緒に昼ご飯を食べることになった。スキー場のレストランでカレーライスや天ぷらうどんといった温かいものを食べると、身体が芯から暖まるような気がした。

「小島さん、本当にスキーうまいですね。これじゃ物足りないんじゃないですか」

食事をしながら、同僚のひとりが小島をおだてる。

「なにをおだててるんだよ。たしかに物足りないけど、ここで滑るしかないだろ」

本当は物足りなかった。

学生時代はもっと難易度の高いコースにチャレンジしていた。ここ数年はスキーをしていなかったが、久しぶりにゲレンデに出てみて、自分のスキルがあまり衰えていないという手ごたえがあった。

「このスキー場、バックカントリーにアクセスできるらしいですよ。小島さん、滑ってくればいいじゃないですか」

バックカントリーのことは初耳だった。

バックカントリーというのは、スキー用に整備されていないエリアのことだ。あまり人がいないし、もちろんリフトも用意されていない。大自然に囲まれながらのんびりとスキーを楽しむことができる。

小島も学生時代は何度もバックカントリーを滑った。誰もいない天然のゲレンデを滑走する快感はなにものにも代えがたい。

「小島さん、難しいコース滑るんですか?」

興味津々といった面持ちで三上も会話に加わってくる。

「いやあ、もう年だし無理だよ」

小島は笑ってごまかしたが、自分ならきっと今でもバックカントリーを滑れるという自信があった。もしもバックカントリーを滑ると言えば、きっと三上は羨望(せんぼう)のまなざしで小島を見つめてくれるだろう。

そんな妄想が膨らむと、小島は本当にバックカントリーを滑ろうという気持ちになってきた。

「小島さんならきっと大丈夫ですよ。だって、すごくスキー上手じゃないですか」

三上もそう言って小島をそそのかす。

「そっかあ、それなら久しぶりにバックカントリー行っちゃおうかな」

そう言って窓の外を見ると、雪がちらついていた。雪が舞う中で人のいないバックカントリーを滑るのはさぞかし気持ちいいだろう。

リフトのさらに上の方にバックカントリーへの入り口があった。「ここから先はスキー場の管理区域外となります」という看板が立ててある。

「それじゃあ、滑ってくるわ」

「小島さん、気をつけてね」

「大丈夫だよ。学生時代にはしょっちゅうバックカントリー滑ってたし」

三上や他の同僚たちと別れ、小島はひとりバックカントリーに足を踏み入れた。