証拠はペアのマグカップ
食卓に並んだチキンカツレツを夫の政和は無言で食べている。娘の美優は最近になって体形が気になりだしたらしく、ぶつくさと文句を言いながら付け合わせのサラダばかりをつまんでいる。
さゆりはうんざりしていた。まだ顔も知らない視聴者たちのほうがましだった。下品なリクエストをしてきたとしても、さゆりとさゆりの料理を見てくれている。
食事が終わり、娘は自分の部屋へ引き上げ、夫は新聞を読んでいる。さゆりは洗い物をしている。
「さゆり」
政和が新聞を閉じて顔を上げた。さゆりも手を止め、オープンキッチン越しに政和に返事をする。
「ちょっといいか。座ってくれ」
「なあに? 改まって」
さゆりはぬれた手をぬぐい、政和の前に腰を下ろす。政和はスマホを画面を上に向けたまま、さっき拭いたばかりのテーブルの上を滑らせた。
「これはお前だよな?」
一瞬何のことか分からなかった。政和のスマホは動画投稿サイトを映している。いや、正確にはさゆりのアカウント〈リリーズ・キッチン〉のプロフィルページを表示していた。
「山下から言われたんだよ。これ、峰岸さん家じゃないかって。ほら、あいつ家に何度か呼んだことあろうだろう。たしかに言われてみれば、うちのキッチンだし、声だってよく聴けばお前にそっくりだ」
「さあ、何のこと? よくある家だし、よくいる声だと思うけど」
さゆりは平静を装ってそう言ったが、内心では心臓をわしづかみにされたような緊張感を感じていた。緊張を紛らわすために山下というのが部下だったのか同期だったのか、どんな顔だったのかを思い出そうとしたが、思い浮かばなかった。
「よくある家だし、よくいる声かもしれないな。でもこれは違うだろう?」
政和が動画を再生し、真ん中あたりで一時停止する。政和の節くれだった指が画面の隅を指していた。
「このマグカップは、美優が生まれる少し前に2人で陶芸体験をしたときにペアで作ったものだよな。仮によくある家で、よくいる声だとしても、このマグカップは世界に1つしかないんじゃないか?」
政和の言う通りだった。さゆりは言葉が出なかった。
「いい年して胸元開けて、こんな猫なで声みたいなもの出して、品がないよ、まったく。軽蔑する」
政和はシャワーを浴びると言って立ち上がる。去り際、リビングの入り口で立ち止まった。
「アカウントは削除しろ。自分の母親がどうしようもない下品な女だと、美優が気づく前にな」
1人取り残されたリビングでさゆりはぼうぜんとため息を吐き、頭を抱えた。