酒屋に様子を見に行くことに

その造り酒屋は、失礼ながら、「みすぼらしい」という表現がぴったりな古びた建物でした。直売所があり試飲ができるようだったので、蔵の名前を冠した純米吟醸酒を飲ませてもらいました。私は日本酒に詳しいわけではありませんが、これといった特徴のない、普通の味でした。

飛び込みの客が珍しかったのか、若い女性店員から「ご旅行ですか?」と尋ねられました。「ええ、日本酒好きなのでちょっとのぞいてみたんです」と言葉を濁し、申し訳程度に750ml瓶を購入して、そそくさと蔵を後にしました。滞在時間が短かったこともあり、耕太さんらしき人の姿を見ることはありませんでした。

100%納得はできないけれど……娘が父を許せた理由

数カ月後、柳沢さんを通して耕太さんから私への手紙が届きました。

便箋10枚以上に及ぶ長い手紙には、教職を続けたかった父が先代と衝突して家を出たという話や、その際に「跡取りは置いていけ」と言われて自分と別れたこと、さらに、私が父の遺言を受け入れたことへのお礼と、受け取ったお金で醸造所の設備投資をして、新しい日本酒を開発したいという決意がつづられていました。

高齢化や人口減少で消費が先細りする中、コロナ禍で出荷が激減して一時期は廃業も考えたそうで、父の遺産が大きな救いとなったことが読み取れました。思わず心の中で、「お父さん、喜んでもらえて良かったね」とつぶやいていました。

だからと言って、まだ私自身、父のやり方に100%納得したわけではありません。

それでも、いつか耕太さんと父の話をしてみたいと考えるようになりました。父の記憶がほとんどないという耕太さんに、父がどんな人だったか、父とどんな暮らしをしてきたのかを伝えるのは私の義務ではないかと思うからです。

※個人が特定されないよう事例を一部変更、再構成しています。