最悪な状態で迎えた父親の最期

2013年。父親は75歳になり、武道で鍛えたガッチリしていた体格は見る影もなく、急激にやせ細っていった。しかし、母親は父親を病院に連れて行こうとはせず、父親自身も行きたがらなかった。

3〜4カ月に1度は帰省していた小栗さんは、父親に「病院に行きなよ」と声をかけていた。しかし、すかさず母親が割って入り、「ただの年だから大丈夫よ。病気が分かりゃあ、私が土地を売って金を作って、きちんとしてやるから」と答えた。

「この頃の両親は常に負債を抱えていたので、母が医療費を出し惜しみしていました。私もできる限りの金銭援助はしていましたが、明らかに父の医療費には回っていませんでした。父も諦めていたのだと思います」

心配でたまらなかった小栗さんは、自分の帰省中に父親を病院へ連れて行くことにした。母親に「(父親の)健康保険証を出して」と言うと、母親は「この家は先祖代々私の家系のもの。全部私の財産だ。よそ者の婿養子(父)のものは何にもない」と言って渋った。何とか母親を説き伏せ、父親に検査を受けさせたが、不思議なことに悪いところは見つからなかった。

そして、2017年。相変わらず“教団”に行きたがる母親と、飲酒運転を繰り返す父親。そのたびに警察から呼び出されていた兄。その状況に辟易した兄はついに我慢の限界に達したのか、父親の車を無断で廃車にしてしまった。

それを知った父親は、「車がないと生きて行けんのに、わしらを殺すつもりか!」と激怒。それから約2カ月後、79歳の父親は入浴中に眠るようにして亡くなった。

●父の死で明らかになった兄の冷酷な一面。後編【「放置していた」高齢の両親に一切支援せず…長男が抱いていた憎しみ】で詳細を解説します。