夫が突然いなくなり
そんな苦しい結婚生活の最中、突然修三が帰らぬ人となった。
15年前の初夏、配達中の事故だった。
近所の人たちは「若いのに気の毒だったね」と口をそろえた。だが、葬儀が終われば小さな田舎町は日常に戻る。夫もなく、子もない千佳は、義母とふたりだけの義
実家に取り残された。
それからの時間は、息をするのがやっとだった。
家事に加えて、田んぼの管理、農具の手入れ、収穫物の配達手配。誰にも助けを求めることが許されない中で、それでも千佳は逃げ出すことだけはしなかった。いったい、なにが千佳をここに留まらせたのだろう。
ふと思い出すのは、夫が田植えのあとに見せた、泥だらけの笑顔。畦道で、風に吹かれて笑ったあの横顔。あの人が信じた家、この土地。この生活のすべてが、彼を思い出せるものだった。
(そうか、私……あの人が恋しいのか……)
そして今、千佳はまためぐってきたこの季節に、田に新しい苗を植えている。
風が吹き抜けるたびに、若い稲がさざ波のように揺れていた。
「……痛っ!」
背後から聞こえてきた声に振り向くと、義母が腰を押さえてうずくまっていた。見たところ、ちょうど田植機に乗ろうとしたところらしい。
「お義母さん? どうしたんですか?」
慌てて駆け寄り、手を貸そうとしたが、「触るな」と制される。普段なら、引き下がるところだが、今だけはそういうわけにはいかない。
「大丈夫ですか? どこか痛いんですか?」
「ちょっと……腰が……でも平気だから……」
「ダメですよ。すぐに病院で診てもらわないと」
嫌がる義母を無理やり車に詰め込み、近くの診療所へ向かう。診断結果は、ぎっくり腰。しばらく安静が必要だと言われた義母は、不機嫌そうに天井をにらんでいた。
「こんなときに、まったく情けないわね……」
「仕方ないですよ。私がなんとかします」
「できるわけないでしょ。田植えには人手がいるのよ」
そう言われたが、手をこまねいている時間はなかった。もしも田植えができなければ、今年の収穫は望めない。つまり、この家の収入がまるごと途絶えるということだ。農業に余裕などない。毎年が本気の勝負だ。
義母が布団に横たわったままぽつりとつぶやく。
「修三がいればね……」
そんなことは分かっている。この15年、何度同じことを考えただろう。彼がいなく
なってから、千佳はただ義母に言われるがままに田んぼを手伝ってきた。だが、あの人はそんなことを望むだろうか。本当は千佳は、あの人の意思を引き継ぐべきではないか。
その晩、納屋にひとりで入り、田植機にそっと手を置いた。もし、これをやり遂げることができれば、何かが変わる気がした。