毅は自転車で母校でもある高校へと向かう。50年前は今ほど舗装もされていなかった川沿いの道を進み、校舎と道路1本挟んで隣りにある野球部専用グラウンドへ向かう。三塁ベンチ側の木の下に自転車を止めるころには、大きな掛け声が聞こえてきている。

わが校名物の特守をやっているようだ。大声でボールを呼び込み、それに答えるようにバットが鋭い打球を飛ばす。腰を落として声を張る球児たちの練習着は土まみれだ。

特守はこの時期の伝統的な練習メニューだ。監督直々のシートノックは、沈みゆく夕日が完全になくなり夜になっても続く。昔はナイター設備もなかったため、暗くなるとボールはほとんど見えなかった。勘で動けばふざけるなと監督に怒られるのだから、とんでもない理不尽だったと思わず笑みをこぼす。

毅は3年前に40年以上勤めあげた会社を定年退職した。

仕事人間だった毅には時間を忘れて楽しむような趣味はあまりない。ただ、野球だけは別だった。かつて甲子園を目指した高校球児だったこともあり、毅は高校野球だけは欠かさず試合をチェックしていた。特に毅の母校は県内では強豪と呼ばれていて、甲子園にも出たこともある。ここ最近は惜しいところで終わっているが、何としても今年は甲子園に出てほしいと毅は思っていたし、その実力は十分にあると思っている。

それは単に母校だからというわけではない。今年、母校には孫の俊太郎がいるのだ。俊太郎は今まさにグラウンドでノックを受けていた。ショートを守る俊太郎は軽快な足さばきでボールをつかみ、流している。現役時代の自分よりも明らかに野球の才能があると毅は思っていた。

そんな俊太郎にとって今年は最後の夏。是が非でも甲子園に行ってほしかった。毅は折を見て、自転車の後ろに積んできていたゼリーの段ボールを抱えてグラウンドに近づいた。マネージャーの女子生徒が気付いて近づいてきたので、段ボールごと渡す。中に入って見学を勧められたが、特守中では邪魔になると思って断った。毅はフェンスの外に戻り、球児たちが立てなくなって特守が終わるまで、彼らの様子を見守り続けた。