山下千尋(33歳)は、財産分与契約書に署名押印した時、深いため息をついた。夫の亮(35歳)とは2人の間に子供こそできなかったものの、周囲からはおしどり夫婦といわれ、いつもうらやましがられる存在だったと思う。それが、離婚調停のために裁判所にまで出向くほど2人の間に不信感が深まり、財産分与についてもそれぞれの言い分の食い違いを整理するまでに多くの時間を費やした。結局、こんな結末を迎えるのであれば、3年前のあの日、あの店で亮から差し出された婚約指輪を受け取らなければよかったのだ。
すべてはインスタから始まった
それは千尋がまだインスタグラムに夢中になっていた頃のことだった。千尋は自分が作ったケーキをインスタに載せ、その反響を楽しみにしていたが、ある時から千尋が作るケーキが評判となってインスタのアクセス数が急増した。インスタを見て来店したという客も増え始めた。その時、千尋が勤めていたレストラン「モン・カシェット(Mon Cashette:フランス語で「私の隠れ家」)」は、川崎で歴史のあるレストランとはいえ、常連客の顔ぶれはおおむね変わらず、経営に困ることがないくらいの繁盛をしている洋食屋だった。それが、千尋が作るケーキが「映える」とSNSで話題になり、東京や埼玉などからでもケーキを目当てに来店する人が増えていった。
オーナーシェフだった亮は、ミシュランの星がついている東京のフランス料理店で修業したことを自慢にするくらいしか取りえのない男だったが、商才にはたけていた。千尋のインスタを見てケーキを食べに来たという東京からの客がやってきた最初の日に、これをきっかけにブームがやってくるだろうことを予見した。すぐに、専門のSNS業者を雇い入れ、千尋が趣味で行っていたインスタグラムをプロの手で全面的に手直しし、写真の1枚1枚、コメントの付け方まで、全てインスタチームが管理するようになった。
それを機に、千尋はパティシエとしてケーキ作りに専心する一方、亮が手配したミニコミ誌や地方新聞の取材などを受けるようになった。そして、徐々に千尋のケーキを目当てにした若い女性客が増えていくと、亮は、「川崎で埋もれているのはもったいない。東京へ出よう。青山に店を出そう」と公言するようになった。
このころ千尋も楽しかった。ケーキを作るために必要な材料は、販売価格を決める亮が認める範囲の予算でしか材料をそろえることができなかった。ところが、千尋のケーキが評判になり始めると、その材料費が自由になった。それまでは、試してみたいと思っていても手が出なかった素材を自由に使えるようになったことでメニューの幅が大きく広がった。毎日のように新しいケーキを作り続けることは、決して楽ではなかったが、幸いにして千尋は、その才能に恵まれ、次から次へと新しいケーキのアイデアが沸き上がってきた。
そして、千尋のケーキが全国放送のテレビで紹介されることになった。亮は広告宣伝費として相当の出費をしたようだった。ちょうどクリスマス前の放送で、千尋は大人のカップルが喜ぶクリスマスケーキをテーマにホールケーキを作り上げた。その出来栄えは、番組のリポーターとして来店した飯塚茉莉(28歳)の顔をくしゃくしゃにするほどの水準だった。茉莉は、テレビ業界では「食レポの女王」といわれるほど、グルメ番組でのリポーター経験が豊富だったが、収録が終わった後で、「生涯で出会った最高のケーキでした」と心から千尋を称賛した。番組では、茉莉が素のまま感激している様子が伝わり、番組の放送中の時間であるにもかかわらず、店の前には千尋のケーキを食べたいという客が行列を作った。そして、その行列が閉店間際まで続いている状態は、その後10日ほども続いた。