休職の延長
翌週も、その翌週も京子の声は明るかった。
そして今週は、梅塚が月末の忙しさで電話できていない。
そろそろ21時を回る。
電話してみるか、と思った。もう戻って来なくていい、などと言うつもりはないが。
「なに?」電話をとった京子の声は珍しく固かった。
「すみません、忙しいですか?」
「ううん、ちょうどいいところだった」
「あ、そうですか」
「実は職場なんだけど、あと2カ月休職したいの」
梅塚は一瞬、気が軽くなった。同僚たちにいいネタができた。
「もちろん処理しますよ…… ご家族の介護の途中でしたか?」
「いえ、墨をすってたの」
「なんだぁ、また書道っすか?」
数秒間、沈黙があった。
「…… 心が落ち着くのよ」
「へえ。スミをスルなんて小学校以来やってないなあ」
「手で文字を書きなさい。現代人は電子文字のせいで思考力が落ちたんだから」
京子は教え諭すように言った。梅塚はおそらくパソコンに打ち込む文字を意味するのだろう「電子文字」という言葉が気持ち悪かった。
電話を切り、梅塚は「電子文字」と検索した。デジタル時計の数字のような画像にまぎれて、1件の池袋にある書道教室がヒットした。
「文字を書くことは、魂を解放する方法です」
筆は自我であり、すずりは宇宙であり、墨は魂そのものである。そして紙は世界である。「書」によって魂は宇宙から自我を通り世界へと解放される…… と、まるで教義のようなメッセージが書いてある。
梅塚は、その夜以来、京子に電話をかけるのを辞めた。
京子からも一度も電話はなかった。