昨日53歳になった米倉京子の目の前には申請用紙があり、そこには「限度額適用申請書」と書かれている。
ひとりダイニングテーブルの席についた京子はハチマキを締めるように勢いよく髪を後ろにくくり、ボールペンを手に取った。
申請書に用心深く、9ケタの保険証番号を書きはじめる。
続いて、昭和23年の生年月日。
その下の欄に「米倉 勝」と書いた。
先月末、抗がん剤治療の1クール目が始まった実父の名前だ。
そこで一息つく。
(やっぱりうまく書けない)
隣り合う字の縦と横の幅がそろっていない。奇妙に角張り、片側に偏って醜い。
子供の頃から自分の字が嫌いだ。
生まれた埼玉を出てお茶の水にある経営専門学校に通い、日本橋蛎殻町の小さな商社の古株の営業課長として務める現在まで「女なのに」字が下手なことがコンプレックスだった。
女なのに。もう50歳を超えたのに。ご両親はどんな教育したのかしら? だから「おひとりさま」なのよね。
字を書いていると嘲笑が聞こえる気がした。
母も同じ病に…
「大丈夫。ここ一番よ」
男勝りな京子は、つい商談前の口癖を言った。
もう1枚、紙を出す。
その用紙も「限度額適用申請書」だ。
そこへ京子は「米倉 正子」と書いた。
先週、子宮がんが見つかった母の名前だ。
勝が救急車で運ばれ末期の胃がんが発見されたきっかり1週間後、正子も仲良く倒れた。
おしどり夫婦か。こんな時でも......。
申請書を書き終えると23時を回っていた。所沢市役所あての封筒に入れる。
1時間以上もかかった。職場で1時間あればいくつ取引先へメールを返せただろう。
そんなことを考えているときスマホが鳴った。
梅塚だ。
「なに」と答える。
「申請書っすよ。書きました?」相変わらず冗談みたいな明るい声だ。
「書いたよ。そんなこと?」
「そりゃ良かった。早く郵送しないと。自己破産しますよ」