・「パパ死んじゃった!」通夜で走り回る幼子の姿に涙…保険営業の現実
1997年11月3日、準大手証券の「三洋証券」が経営破綻しました。これを皮切りに金融機関の破綻が相次ぎ、同じ月に4つの主要な金融機関が破綻します。日経平均株価も、年末にかけ値を大きく下げました。
【1997年11月に破綻した主な金融機関】
・11月3日:三洋証券
・11月17日:北海道拓殖銀行
・11月24日:山一證券
・11月26日:徳陽シティ銀行
【1997年の日経平均株価】
なぜ金融機関の破綻が相次いだのか、理由を探りましょう。
バブルを崩壊させた2つの施策
金融機関の相次ぐ破綻は、バブルの崩壊が原因だと考えられています。
主に土地価格の上昇によってもたらされたバブル景気は、1990年3月に大蔵省が通達した「総量規制」をきっかけに終焉を迎えました。これは不動産業向けの融資の伸び率を、総貸出の伸び率以下に抑えるよう求めたものです。
国土交通省が毎年公表する「地価公示価格」をさかのぼると、東京圏における商業地の上昇は1988年にピークを迎え、上昇率は61.1%にもなりました。しかし総量規制の翌々年(1992年)にマイナスに転じ、その後2005年まで14年間も下落が続きました。
【地価公示価格の変動率(東京圏の商業地)】
さらに当時の政策金利に相当する「公定歩合」の引き上げも、経済を冷やした原因だと考えられています。日本銀行は1989年から公定歩合を上昇させ、翌年にはピークとなる6%に到達しました。インフレを抑え込む効果はありましたが、急速な利上げに市場は冷え込み、バブル崩壊の影響を長引かせたと指摘されるようになります。
これらの施策の結果、バブル経済は終わり、1990年代の後半にかけ企業倒産が増加しました。金融機関においても不良債権の増加につながり、破綻が相次ぐことになります。
【企業の倒産件数および負債総額】