<前編のあらすじ>

30代前半の美穂は中学を卒業してから清掃会社で勤め働きづめの毎日を送っていた。理由は父の残した借金である。休みもなく、返済のために働き続け、生涯を終える。そう思っていた美穂に予期せぬ幸運が訪れる。

いつものように職場のオフィスビルで掃除をしていたときのことだ。各オフィスからやってきたゴミを仕分けしていると明らかに高級そうな万年筆が。出元は著名Sierのオフィスだった。

問い合わせると持ち主が分かった。なんと、そのSIerの御曹司・辰巳だったのである。同じ93年生まれということもあり二人は意気投合する。そしてついに美穂は辰巳から思いを告げられる。だが、彼女には懸念があった。それは借金のことである。

迷惑をかけたくない美穂は身を引こうとも思っていた。しかし、辰巳は二つ返事で美穂の借金の返済を引き受けた。思い人と一緒になり、長年悩まされていた借金の問題も解決。偶然得た幸運をかみしめる美穂だった。

だがある日、険しい顔をした辰巳からこう告げられる。

「実は許嫁がいたんだ」

前編:巨額の借金返済のため半額弁当を食べる生活から、ハウスキーパー付きの豪邸暮らしへ 30代女性の人生を激変させた出来事

言われるまで忘れていた

乱暴にネクタイを緩めた辰巳は頭を抱えた。これまでに見たことがないほどに顔色が悪かった。

「許嫁って、確かに昔……中学生のときくらいに、父さんから聞かされたことがあったんだ。でもさ、そんなの本気だと思わないだろ? 実際、30越えても何も言われてこなかったわけだし、今日言われるまで忘れてたよ」

辰巳は早口でまくし立てた。美穂は落ち着いてと、彼の背中をさすった。

「相手はどんな人なの……?」

「父さんの友達の娘だよ。その友達、有名な弁護士なんだ。政財界にもけっこう強いコネクションを持ってるみたいで、たぶん俺を娘と結婚させて、そういうとこに繋がりを作りたいんだと思う。俺も小さい頃は何度か会ってたし、まあそれなりに仲も良かったと思う。だけど俺は1度も彼女のことを友人以上で考えたことなんてなかったよ」

美穂には想像しがたい世界だった。自分のコネクションのために子どもの結婚相手を親が決める。そんな大昔のヨーロッパの貴族みたいな価値観が今も実際に存在するなんてというふわふわした感想しか持てないくらいには、現実感がなかった。

「父さんは人生をかけて会社を大きくしてきた人だからさ。善くも悪くも父さんにとっては会社が全てなんだ。だから会社を大きくするために必要だと思ったら何でもやる人なんだよ」

辰巳の苦しそうな顔の意味を美穂は何となく分かっていた。辰巳は強引なやり方でも会社を大きくしてきた父親のことを尊敬していた。だからこそ尊敬している父の跡継ぎとして頑張っていたのだ。

「……どうするつもり、なの?」

「もちろん、断るよ。父さんには美穂のことを伝えて、結婚を考えてるってちゃんと話すよ。大丈夫」

辰巳はそう言って美穂の手を握った。だが触れた辰巳の手のひらは、寄る辺のなさを誤魔化すように頼りなく、崖から落ちまいと必死に突起を掴むような苦しさと焦りに満ちていた。