愛子は浮つく気持ちを抑えるようにリビングのテーブルを布巾で拭いていた。今朝、やったばかりで意味もない行動だと分かっていてもじっとしていることができなかった。何度も携帯を見ながらソワソワしていると、チャイムが鳴った。小走りで玄関に向かいドアを開けると、娘・瑠璃の笑顔と抱っこひもの中ですやすやと寝ている孫の亮介の姿があった。

「かわいい」と声を上げそうになったが、大きな声を出して起こすわけにはいかないと、寸前で言葉を飲みこんだ。

「おかえり」

小さな声で瑠璃に声をかけると、瑠璃はうれしそうに笑った。娘の瑠璃は大学を卒業した5年前、就職のため家を出た。その3年後に結婚し、ついに子供を出産したのだ。あらかじめ用意しておいた簡易のベビーベッドに亮介を寝かせ、コーヒーを出して帰省した瑠璃をねぎらう。

「お疲れさま。子供を連れての帰省は大変だったでしょ?」

「ううん、お利口さんに寝てくれてたから、そこまで大変じゃなかったよ」

愛子はベビーベッドに目を向ける。

「寝る子は大きくなるからね。将来が楽しみねぇ」

「まあ、私としては、取りあえず元気に育ってくれれば良いとしか思わないけどね」

「確かに、私もそんな感じだったかな~」

愛子は買っておいたクッキーを頰張りながら昔を思い出していると、瑠璃がキョロキョロと辺りを見渡した。

「そういえば今日、お父さんは?」

「お父さんは仕事」

「ふふ、お父さんらしいね」

「ほんとよ。いっつも仕事、仕事、仕事。それ以外の言葉を忘れちゃったんじゃないかしら」

「私もお父さんと遊んだ記憶、ほとんどないなぁ」

「一樹さんはどうなの?」

瑠璃は笑顔で首を横に振る。

「真逆。朝、亮介の寝顔を見て、仕事行きたくないってごねてるもん。でもその代わりに、休みの日も積極的に亮介の面倒を見てくれて助かってるんだけどね」

「あら、あの人とは正反対ね。まあそういう旦那さんのほうがいいと思うわよ」

「今日だってね、仕事なのに寂しいからついてくるって言って聞かなかったくらいなんだから」

「何だか申し訳ないわね」

「気にしなくて良いよ。何だかんだで久しぶりの1人を楽しんでると思うし。でさ、お父さんは何時くらいに帰ってくるの?」

時刻は17時を過ぎていた。夫の勇の仕事は定時なら18時までなので、19時前には帰宅するはずだ。しかし愛子は目を細める。

「さすがにこんな日に残業してくるわけはないと思うんだけど……」

「いや、ありそう」

愛子の質問に瑠璃は声を出して笑った。まさかそんなことはしないだろうと愛子は内心考えてはいたが、やはりそのまさか。勇が帰ってきたのは9時近くになってからだった。