ベビーシッター代浮くし、めっちゃ助かります
早月は梨奈から祥太の世話をお願いされるたびに、車で20分かかる息子夫婦の家を訪れて孫の相手をする。祥太が寝ている間は、使った食器やガーゼを洗ったり、オモチャの消毒や片付けをしたりといった育児に伴う家事を済ませるのが定番だ。
一方、遊びに出掛けた梨奈は、大抵約束していた時間よりも遅く帰ってくるし、部屋が片付いていることにも気付かない。それどころかこんなことを言ってくることさえあるのだ。
『あー、洗濯するんだったら、これも一緒に洗ってくれればよかったのに』
本来は息子夫婦がやるべき家事・育児を手伝っているのに、感謝されるどころか文句まで言われるのだから、ため息くらいは吐きたくなる。
早月は今まで自分なりに嫁の梨奈のことを気遣ってきたつもりだ。息子の武治は、仕事柄出張が多く不規則な生活を送っている。梨奈がワンオペ育児を強いられるであろうことは、出産前から分かり切っていた。だからこそ早月は、梨奈から祥太を預かってほしいと頼まれるたびに、快く受け入れるようにしてきた。
しかし、梨奈は想定をはるかに超える頻度で祥太の面倒を依頼するようになり、今ではほとんど毎日、早月は祥太の世話をするために息子夫婦の家を訪れている。ここまで梨奈が育児を丸投げするようになったのは、早月が元保育士だということも大きな理由の1つだろう。新米ママの梨奈が経験豊富な早月に育児を任せたくなる気持ちも分かる。それに早月自身も何十年も前の話とはいえ、前職の経験が生かされていると思うとうれしかったし、純粋に孫の祥太と触れ合えることに喜びも感じていた。
ただ、最近の梨奈の態度は目に余るものがある。
「あ、そうだ。明日も祥太のことお願いできますか? 美容院に行きたいんですよね。ほら、毛先とか痛んでてやばくないですか? 出産で体質とか髪質とかガラっと変わったっていうか」
梨奈は人さし指で毛先をいじっていたが、どこがどう痛んでいるのかは分からない。とはいえせっかく頼ってきてくれている嫁をむげにするわけにもいかず、早月は首を縦に振る。
「やったぁ。ありがとうございます! いやぁ~お義母(かあ)さんが元保育士で超ラッキーでしたよ。ベビーシッター代浮くし、めっちゃ助かります」
早月は苦笑いを浮かべるが、梨奈がそれに気づくはずもない。息子に紹介されたときは、明るくて人当たりがいい子だと思っていた。だがそれは勘違いだったのかもしれないと今では思う。梨奈は人の気持ちにどこまでも鈍感だった。
「お義母(かあ)さん。それじゃあ私、行ってきますね。留守の間、祥太のことお願いしますね」
早月は祥太を抱きかかえながら、家を出て行く着飾った梨奈を見送った。開いた扉から外の光が差し込んで、すぐに閉ざされて暗くなる。扉は、かちゃり、と早月をあざ笑うような静かな音を立てた。
だうあぁ、と祥太が手を上げて、2本だけ生えた前歯を見せて笑っている。最初は梨奈が出掛けるたびにぐずってしまって大変だったが、今では祥太もすっかり慣れてしまった。
百歩譲って、ベビーシッターなら早月がいくらでも代わることはできるだろう。しかし祥太の母親は梨奈だけだ。それには絶対に代わりがいない。梨奈はそのことをちゃんと分かっているのだろうか。
美容やランチと自分への投資ばかりに精を出す梨奈を見ていると、早月はどうしても不安な気持ちになってしまうのだ。