流通業界を騒然とさせた「ダイエー・松下戦争」とは

パナソニックは創業期から販売価格に対する強いこだわりを持っていた企業でした。1935年頃は小売店が自由に価格を決めていたことから、高すぎる価格で販売し顧客の不信を買ったり、逆に極端な値引きで小売店の採算が悪化したりと、混乱を招いてしまいます。この打開を目指し、パナソニックは適正価格での販売運動を展開しました。

このこだわりは、戦後に「ダイエー・松下戦争」と呼ばれる対立に発展します。この時期は小売りの花形が百貨店からダイエーのような総合スーパーに移り、メーカーと小売店の力関係に変化が生じてきたタイミングでもありました。

1964年、低価格を武器に規模を拡大していたダイエーは、当時の松下電器産業のテレビも値下げして販売します。その価格が松下電器産業の求める水準を下回っていたため、松下電器産業はダイエーへの出荷を停止しました。これに対し、ダイエーは1970年に「ブブ」のブランド名でより低価格の家電製品を投入し、両社の関係悪化は決定的となります。この対立はおよそ30年続き、両社の取引が再開されたのは1994年のことでした。

パナソニックは、実は現在も同じように小売店の値下げを制限する取引を一部で導入しています。ただし独占禁止法違反とならないよう、在庫リスクをパナソニックが引き受ける仕組みとなっています。