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金融機関にとって、「金融庁」は警察と裁判所が一緒になったような怖い存在です。ルールにのっとって適切に運営されているか監督を受け、悪質なケースでは認可の取り消しといった強力な行政処分が下されます。金融業は行政上の登録がなければ営業できないことが多く、その取り消しは極刑に等しい措置といえるでしょう。

金融庁の前身である「金融監督庁」は1998年6月22日に発足しました。その誕生した経緯を踏まえると、金融庁に強い職権が認められている理由もうなずけるかもしれません。

金融機関との癒着が露呈した接待汚職事件とは

金融監督庁は、それまで大蔵省(現・財務省)が一手に握っていた金融行政のうち、金融機関に対する検査や監督機能などを分離する形で設立されました。背景には旧大蔵省と金融機関の癒着が表面化した「大蔵省接待汚職事件(ノーパンしゃぶしゃぶ事件)」があったといわれています。

1998年、旧大蔵省の職員が金融機関を監督する立場を利用し、その便宜をちらつかせ大手の銀行や証券会社から接待を受けていたことが発覚しました。一部では風俗店を用いた接待があったことも明らかになり、大手金融機関と官僚の下卑た関係に世間は強い拒否反応を示します。

この汚職事件を巡り、旧大蔵省の職員112人が処分され、当時の大臣や日本銀行総裁は辞任に追い込まれました。旧大蔵省からは金融監督部門が切り離され、それに伴って総理府(現・内閣府)の外局として金融監督庁が誕生します。金融監督庁はさらに企画立案部門も統合し金融庁となり、旧大蔵省は金融行政に関する機能を完全に失いました。

こういった経緯で誕生した金融庁は、不祥事によって失墜した信用を回復させるために生まれた行政機関といえます。金融庁は、二度と国民の信頼を裏切らないよう金融機関を厳しく監督しているのです。