・月給86万円が26万円に…巨額赤字で給与大幅カット、痛すぎる財政改革

多くの食品を海外産に頼る日本でも、米は特別な存在です。自給率はほぼ100%を達成しており、近年は日本食ブームなどから海外輸出も増加しています。

しかし、そんな米も危機的な状況に追い込まれた時期がありました。1994年の3月7日、当時の食糧庁は国産米の単品販売を禁止します。私たちの食卓に欠かせない米に何が起こったのでしょうか。

「平成の米騒動」でお米が買えなくなる

国産米の販売が制限されたのは「平成の米騒動」が原因でした。1993年に記録的な冷夏が襲い、米の収穫量が大きく減少します。在庫もほぼ底をついたことから、日本は深刻な米不足に陥りました。

【水稲の収穫量(1989年~1993年)】

農林水産省「作物統計調査」より著者作成

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【東京の最高気温(1989~1993年)】

気象庁「観測開始からの毎月の値」より著者作成

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米の価格高騰を防ぐため、政府はタイなど海外産の米を緊急輸入しました。しかし、今でこそタイ米は浸透していますが、当時はなじみのない味が不評を買い、その多くが放棄されてしまいます。タイ国内では日本輸出に伴って米価格が高騰したこともあり、日本に対する感情が悪化することになりました。

1994年に米の収穫が回復したことを受け、平成の米騒動は終息します。また政府は将来の米不足に対応するため、備蓄制度を設けました。毎年21万トン程度を買い入れ、政府が100万トン程度の備蓄米を保有しておく仕組みです。なお、5年持ち越しとなった備蓄米は飼料用などに売却されることになっています。