レオスを立ち上げ軌道に乗せるも、リーマン・ショックで風景は一変

ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントには3年間、勤務しました。そして、満を持して立ち上げたのが、レオス・キャピタルワークスだったのです。レオスを立ち上げるに際しては、直販投信の先輩であるさわかみ投信の澤上篤人さんにも会って、いろいろ教えてもらいました。澤上さんは、どの金融機関系列でもない、資本的に完全独立した投資信託会社を日本で初めて設立した人として有名でした。しかも、旗艦ファンドである「さわかみファンド」は、証券会社などの販売金融機関では販売せず、自分のところで販売する直販方式を採用していました。そんなビジネスモデルで投資信託会社を立ち上げることができるのか、という驚きの気持ちで一杯でした。

レオスを立ち上げた直後は、まだ体力的に投資信託を運用することは出来ず、もっぱら機関投資家などの資金を預かって運用していましたが、自分たちもいつか直販で投資信託を立ち上げようと思うようになりました。

2003年に立ち上げたこの会社は、自分で言うのも何ですが、経営は結構うまくいっていました。私自身の収入も、ゴールドマンサックスの時には及びませんでしたが、ちゃんと生活できるだけの給与も確保できましたし、会社もすぐに黒字化しました。

経営自体はとても良い形で進んでいたのですが、正直、飽き足らないところがあったのも事実です。その当時はまだ投資信託を設定していなかったのですが、もともと「理想的な投資信託を世に送り出したい」という気持ちで起業したのですから、こんなところで満足するわけにはいきません。新しい社員を迎え入れ、投資信託を設定・運用できる体制を構築し、資金調達も行いました。まさに拡張路線まっしぐらです。組織はどんどん大きくなっていきました。

金融庁の申請もおりて、いよいよレオス・キャピタルワークスとして初めての個人向け投資信託、「ひふみ投信」を設定したのが、2008年10月1日です。まさにリーマン・ショックが起きた時とタイミングがまったく同じだったのです。

「乗り切れるだろうか」という不安いっぱいのなかでのスタートでしたが、残念ながらダメでした。当時のレオスの財務内容からすれば、いささか無茶なチャレンジをしてしまったのです。すでに大勢雇っていましたし、ひふみ投信の基準価額は暴落状態。解約がどんどん出て、会社の業績は一気に赤字へと傾きました。