<前回まで>

投信業界のキーパーソンにロングインタビューする投信人物伝。世界の富裕層の資産を守り続けてきたプライベートバンクの日本法人「ピクテ・ジャパン」の代表取締役社長である萩野琢英氏に、これまでのキャリアや運用哲学を伺いました。萩野氏は日本株バブルの崩壊を目の当たりにしながらもロンドン、ニューヨークといった海外赴任を通じ、最先端の運用手法を経験します。ただ、勤め先だった山一證券が突然の経営破綻に。同時にマネーの論理がすべてに優先されるマーケットの世界に疑問を感じることもあり、企業分析に対する興味が高まったことも重なってオファーを受けた製薬会社に移籍。いったんは金融の世界から身を引いたものの、やはりマーケットの可能性を信じ、再び金融の世界に戻ることを決意するのです。

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富裕層の資産を守るプライベートバンカーとしてピクテに入社

マーケットの世界に戻るにあたっては、いくつかの選択肢がありました。アナリストに戻るという手もありましたし、また、企業の良し悪しを見極めて投資するファンドマネージャーの就職機会もありました。

全く未経験の分野としては、インベストメントバンカーとプライベートバンカーですが、インベストメントバンカーの世界は、目の前に金をぶら下げて全力疾走させるようなイメージがあり、これはちょっと遠慮したい。そんなことをつらつら考えながら、「プライベートバンカーとはどのようなものか」と思い、当時、ピクテ投信投資顧問(現ピクテ・ジャパン)で社長をされていた岡崎義春さんを訪ねた日に、面接もなく入社が決まってしまったことを今でも覚えています。1999年の冬のことです。

私が入社した時、ピクテの日本法人はピクテ投信投資顧問という社名で、その名の通り、投資信託業務と投資顧問業務を兼営していました。投資信託は個人向けの運用商品を作って販売金融機関に売ってもらう仕事。投資顧問は年金基金など、おもに機関投資家と呼ばれている人たちを相手に運用業務を提供する仕事です。その会社の一部門で、富裕層の資産を守るプライベートバンカーとして入社しました。

当時、ピクテ投信投資顧問の運用資産残高は1000億円程度で、ざっくり申し上げると、投資信託が500億円、投資顧問で運用している年金基金の資金が500億円でした。そして、プライベートバンカーとして入社したつもりだったのですが、岡崎さんから年金ビジネスを手伝って欲しいと言われ、年金ビジネスに関わるようになりました。プライベートバンカーとはだいぶ違う仕事ではありましたが、そのお陰で年金運用のノウハウを積み上げることができた点は、とても感謝しています。