近江商人を生んだ滋賀県の県民性

滋賀県はかつての都、京都に近く交通の要衝であったことから、商業が栄えた。優れた商人気質が“近江商人”として高く評価されるほどに、才気あふれた人が多かった。また、生活態度は堅実で貯蓄好きとされ、真面目で勤勉な人が多いとされる。

最近の傾向として、湖南エリアは大阪や京都への利便性が高く、大阪や京都に通勤、通学する人が多いため、滋賀県の人は“滋賀府民”とまで呼称される。人口が急増し、各業界から新たな市場として注目される。

ただ、数世代にわたり戦国武将による壮絶な戦闘を身近に体験してきたせいか、自分の意思をあまり表に出さない習性が、湖北地方を中心に存在したようだ。筆者が勤務していた頃、参議院議員の選挙で全国区からの選出制度があったが、滋賀県の北部ほど反応を読み切れない地域はないとする候補者の嘆きがあった。自分が敬愛する候補者の選挙カーがやって来て演説を始めても、外には出ないで障子越しに演説を聴き、その内容にうなずくなど反応が表面化せず、候補者泣かせだったそうだ。

テレビ・ラジオ等による影響か、各地の言葉なまりも少なくなり標準語化しているようだが、滋賀県で赴任当時耳についたのが、語尾の「ですしー」という言葉だった。市役所で書類を受け取るときも、「書類ができましたしー」と呼び出してくれる。社内バス旅行で目的地が近づくと、幹事が「目的地はもうすぐですし―」と教えてくれる。断定的な表現をしない。これも、自分の意思を覆い隠す世渡りのすべとして、戦国時代からの名残だったのかもしれない。

しかし、広大な琵琶湖のせいか、滋賀県の人は総じて開放的で気さくな人が多かったという印象だ。数々の業務上の苦労とともに、忘れ難き思い出に満ちた若き日の赴任地――。また訪れたい。

執筆/大川洋三

慶應義塾大学卒業後、明治生命(現・明治安田生命)に入社。 企業保険制度設計部長等を歴任ののち、2004年から13年間にわたり東北福祉大学の特任教授(証券論等)。確定拠出年金教育協会・研究員。経済ジャーナリスト。著書・訳書に『アメリカを視点にした世界の年金・投資の動向』など。ブログで「アメリカ年金(401k・投資)ウォーク」を連載中。