大手部品メーカーの総務部長代理を務めた大石次郎さん(仮名)。定年後も再雇用制度で会社に残り、65歳で完全リタイアしました。「これからは夫婦で好きな旅行でも楽しもう」と思った矢先に、30年以上連れ添った奥様が脳疾患で急逝。大石さんは、学生時代以来何十年ぶりかの独り暮らしでリタイア生活をスタートさせました。

それから3年。68歳になった大石さんに“男やもめ”のイメージはこれっぽっちもありません。趣味の写真や将棋のサークルで知り合った幅広い年代層の友人に囲まれ、自宅では行きつけの小料理屋のご主人仕込みの料理を好きな日本酒と一緒に楽しむなど、充実した生活を送っています。自宅から3駅ほど離れたマンションに住むメガバンク勤務のひとり息子(33歳)との関係も良好です。

そんな大石さんが、感慨深そうに口にしたのが次のような言葉でした。

「今、私がこうして暮らしていられるのは、息子と息子の友人の新谷君のおかげ」

実は大石さん、愛妻を亡くした直後、今度は虎の子の老後資金を一挙に失いかねないピンチに遭遇していたのです。事の顛末を、ご自身が話してくれました。

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〈大石次郎さんプロフィール〉
関東在住
68歳
男性
元会社員
妻が3年前に亡くなり、独り暮らし
金融資産7000万円

あれは、忘れもしない3年前の春のことでした。当時妻を亡くしたばかりの私は、強い喪失感から抜け殻のようになり、自宅に引きこもっていました。そんな私を心配して、近くに住む息子や兄夫婦、友人らが時折立ち寄り言葉をかけてくれましたが、なかなか現実が受け入れられず、食事もろくにのどを通らないような状態が続きました。

ですから、彼女と初めて会った時の私は、さぞやくたびれた爺さんだったのではないかと思います。彼女とは、私が取引していた証券会社の営業員です。人事異動で担当の営業員が代わるのでと連絡が入り、その後、前任者と共に自宅にあいさつにやって来た新しい担当者が彼女だったのです。

その時には既に40歳を超えていたはずですが、色白で日本人形のような顔立ちは実年齢よりだいぶ若く見えました。好ましく思えたのは、化粧や服装も落ち着いた感じで、どことなく昭和の香りがする女性だったことです。あるいは、相手の目をじっと見て話す姿に、出会った頃の妻の姿を重ね合わせていたのかもしれません。7歳年下の妻は新入社員として私の職場に配属され、私が指導係を務めたことが交際のきっかけでした。

その後、彼女は週に2~3回、電話やメールで連絡をよこしました。6月の私の誕生日に手製のケーキを持参した彼女にコーヒーを入れてあげた時、彼女がバツイチで、要介護の母親がいるという身の上話を聞かされました。現役時代総務畑を歩んだ私には社員から厄介な相談事が持ち込まれることが多く、彼女に対しても何かしらの助言をしたことを記憶しています。彼女は「大石さんに話して気が楽になりました」と言ってくれました。