テレビで年末ジャンボ宝くじのCMが流れると、「いよいよ年の瀬が迫ってきた」と感じる人は多いだろう。くじを購入した人は「もしかしたら」「早く結果が知りたい」という期待感や甘美な焦燥感に心がはやり、当せん番号が発表される大みそかが一層待ち遠しくなるのではないか。

人々に夢を見させる宝くじ。その売り場で悲劇が起こったのが、45年前の今日、1976年12月21日だ。

まだ「ジャンボ」の名称がつく前で、1等1000万円の高額当せん金を売りにした年末特別くじが発売された。すると全国各地の売り場に群衆が殺到し、負傷者が続出、福岡市と長野県松本市で各1人が死亡した。この事故を受けて、翌年には官製往復はがきによる予約発売方法が導入され、1996年に廃止されるまで予約制が続いた。

今でも人気の売り場には行列ができ、年末の風物詩のようになっているところもある。それでも、けが人や、ましてや死亡者が出るような混乱は聞いたことがない。当時は徹夜組もいて、午前3時に約3万人がひしめき合う売り場もあったというから驚きだ。

一獲千金の夢が一瞬にして悪夢に変わってしまう――。もう二度とそんな悲劇が起こらないことを願いつつ、宝くじの歴史やちょっとした豆知識を紹介したい。

くじの起源はローマ時代? 「宝くじ」は終戦後に開始

宝くじの歴史は古い。“くじ”そのものでは約2000年前のローマ時代にまでさかのぼるといわれ、現在のような近代的富くじは15世紀半ばのオランダで発行された記録が残っている。

日本では江戸時代初期の1624年ごろ、摂津国(現在の大阪府)の箕面山瀧安寺で正月に名札を突いて3人を選び出し、福運のお守りを授けたのが発祥とされている。その後、次第に金銭と結びついて世の中に浸透し、幕府が一時的に禁止令を出すほど流行していった。

しかし、幕府は寺社にだけは修復費用調達の一方法として富くじの発売を公認。「御免富(ごめんとみ)」と呼ばれ、人々の娯楽のひとつとして親しまれた。1842年の天保の改革によって再び禁止されてからは、1945年まで103年もの長い間、日本で富くじは発売されなかった。

終戦直前の1945年7月、政府は軍事費の調達を図るため、1等10万円の富くじ「勝札(かちふだ)」を1枚10円で発売。ところが、8月25日の抽せん日を待たずに終戦となったため、これを人々は「負札(まけふだ)」と呼んだ。同年10月、戦後の激しいインフレ防止のため、「宝くじ」という名称で政府第1回宝くじが発売された。

翌年12月には地方宝くじ第1号となる「福井県復興宝くじ」が登場。一方で政府宝くじは1954年に廃止され、同年12月に「全国自治宝くじ」が誕生し現在の形となった。以来、経済成長とともに徐々に賞金の高額化が進み、1989年には1等賞金6000万円、前後賞合わせて1億円と、最高賞金がついに1億円の大台に乗った。

出所:宝くじ公式サイト 宝くじの歴史