日韓基本条約は金欲しさに結ばれた条約なのか?
1965年6月22日に、日韓基本条約は締結された。韓国では朴政権が軍事的な基盤を背景に、戒厳令によって反対勢力を抑え込み、8月には批准している。
一方、日本の国会では当時の社会党が朝鮮半島を代表する国は北朝鮮であるとして韓国政府を認めず、共産党も朴正煕政権を認めなかった。それぞれ組織を動員して10万人規模のデモを行うなど反対運動が盛り上がり、国会での条約批准は困難を極めた。
韓国でも反対運動はあったが、それは領土問題への曖昧な妥協と賠償の個人請求権の棚上げ的な政府の処理の仕方に対するものであった。個人の請求権に関しては、日本からの直接的な支払いではなく韓国政府が行うという形になったものの、実際には1971年になってから、徴兵などに対する雀の涙ほどの個人補償がなされただけであった。徴用工の問題もこの中に含まれているべきで、韓国政府が誠実に実施すべきことだったはずである。しかし、当時の政権は国土と経済復興のためのお金を優先した。そしてそのことは、現在の韓国の経済的な隆盛を見ると、正解だったとも言える。ただ、個人補償が置き去りにされたのも事実である。
韓国の人々の心情としては、1910年の日韓併合が1965年の日韓基本条約によってなかったものになったという日本の事務的な対応に対する、怒りのようなものが根本にあるはずだ。植民地化についての具体的な謝罪を要求する韓国の国民感情を放置したままにして前に進んだことが、今でも尾を引いている。すなわち、1965年の日韓基本条約は日本においては戦後処理の問題だが、韓国の側から見れば戦後ではなく、日韓併合の延長の条約でしかないのだ。だから、条約の内容云々の問題ではなく、屈辱の歴史に対する根本を誤魔化した条約と映っているのだろう。
戦後の在日朝鮮人に関わる事件を出発点に、冷静に過去の歴史を振り返ってみると、現在の日韓のしっくりこない状況も少しは納得できるのではないだろうか。