そもそも戦後の在日朝鮮人はどんな運命を辿ったのか?

1945年の敗戦とともに、GHQは在日朝鮮人の送還事業を開始し、1946年までに徴用者を中心に140万人が帰還した。日本政府は引き上げ希望者全員を帰国させる方針だったが、およそ60万人が日本に残った。在日朝鮮人の多くは、戦前、戦中から港湾、鉱山、工場での労働者が多く、一般社会との交流が少なく、日本語も不自由で生活基盤も脆弱だった。

しかし、戦後は職業も自由となり、成功者が輩出されるようになっていく。中でもパチンコ産業は在日朝鮮人の社会で情報が蓄積され、メーカーから店舗までの一気通貫のビジネスがコミュニティーを通して日本全国に広がっていった。

終戦直後、密造酒のカストリで財を築いた朝鮮系の人たちが、日本復興の過程でパチンコ店や焼肉店などの商売で次々に成功し、日本社会に溶け込んでいった。そして、ハングリー精神を持った朝鮮系の人たちが、プロスポーツ界や芸能界でも広く活躍するようになった。そうした事態をあげつらう日本人も少なくなかったが、戦後75年以上が経過して世代交代も進み、今や韓流ドラマを日本人が楽しむ時代になったのは隔世の感がある。