日本と隣国である韓国の間には、まだまだスッキリしない問題がある。従軍慰安婦のニュースが出るたびに、不愉快な思いをする日本人も多いはずだ。戦後、日本が韓国に支払った賠償金額は無償で3億ドル。その他の有償も含む経済援助の総額は11億ドルだった。

当時の韓国の国家予算は3.5億ドル。日本としては第二次世界大戦後の清算の一環として支払った金額だったが、韓国の人々の中には第二次世界大戦の清算という区切りはおかしいと思っている人が多かったのだろう。1910年の日韓併合で植民地とされたことの清算は、済んでいないという気持ちがどこかに残っているのかもしれない。

第二次世界大戦は、韓国の人にしてみれば勝者でもなく、敗者でもない。日本の植民地として巻き込まれただけ。戦争の結果、国土は二分され、今も同じ民族が敵対し合わなくてはならない状況に置かれている。こんなことになったのも、日本が悪いからだ……と。

今回取り上げる事件をもとに、日韓の戦後の歴史を紐解くと、今のスッキリしない問題の根幹も見えてくるかもしれない。

在日朝鮮人たちは生きるために密造酒作りで稼いだ

カストリというお酒のことをご存じだろうか? カストリとは戦後の混乱期に出回った密造酒のことである。終戦直後は食料不足のためにお米がなく、酒造会社はお酒を作ることができなかった。そのため、サツマイモや麦を原料にした安価な密造酒が出回るようになったわけだ。闇市や屋台ではさまざまな密造酒が扱われ、中には焼酎とは明らかに違うアルコール飲料が多数出回った。特にバクダンと呼ばれた燃料用アルコールや工業用アルコールを使用したものは中毒事故が頻繁に起こり、社会問題になっていた。

1947年における密造酒の生産量は正規のお酒の1.5倍に近く、販売目的で大掛かりな密造が行われていたが、その拠点の1つが在日朝鮮人の集落だった。1947年6月23日、神奈川県川崎市の在日朝鮮人の集落に対して大規模な一斉取り締まりが行なわれた。警察官206名と税務署員88名に検事と占領軍の憲兵も加わり、100名以上を検挙。1万5000リットルもの密造酒を押収した。

ところがその夜、陣頭指揮をとった神奈川税務署の端山豊蔵課長が、税務署から自宅への帰り道に複数の男に囲まれ、殴る蹴るの暴行を受けて死亡したのだ。端山課長の死は日本政府にも衝撃を与えた。葬儀は盛大に行われ、当時の大蔵大臣の栗栖赳夫、前大蔵大臣の石橋湛山、大蔵事務次官の池田勇人なども参列した。

また、戦後の密造酒関係の事件としては、「高田ドブロク事件」も合わせて記憶しておきたい。1948年に警察当局は新潟県上越市と妙高市の在日朝鮮人集落で大掛かりな密造が行われていることを内偵し、慎重に証拠固めをした後、1949年の4月7日に一斉取り締まりを実施した。

捜査終了後、在日朝鮮人たちが高田警察署の周りに集まり始め、200人以上が検挙者の釈放を要求した。その後、警察署に投石を開始し、窓ガラス十数枚を破損。この不穏な騒動は11日までという異例の長さとなり、12人を検挙することで5日間にわたる事件はようや決着した。