自分で決めたいアメリカ人、決めたくない日本人

アメリカには「自助努力」の精神が根付いていると言われます。

「自助努力」とは、辞書的に言えば「他を頼らず、自力を尽くして物事を成し遂げようとすること」だそうです。そう考えれば、「たとえ物事が上手くいかなくとも他を責めずに自分を顧みる力」と対になっていなければならないと思うのですが、昨今のアメリカの政治事情を見ていても首をかしげるところも多いです。

ただ、自助努力について考える大前提として一つ言えるのは、アメリカ人にとって「自分で決められる」自由が不可欠ということです。アメリカ人と言ってもいろんな人種が混じっているわけではありますが、概してアメリカでは、「選択の自由」が重要視されていると感じます。日本人にとっても「選べる」ことは大切かもしれませんが、同時に日本人には「良きに計らえ」的な感覚もあると思います。

例えば、レストランのコース料理。Aコース、Bコースの別を選べば、料理のラインナップはすでに決まっており、多くの日本人はそれで満足。むしろ、前菜、スープ、サラダ、メイン……といちいち組み合わせを考えながら選ぶ労力から解放され、喜ばしくも思うのではないでしょうか。

アメリカ人はそうはいきません。だいだいレストランで「定番コース料理」が提供されていること自体がほとんどありません。もしあったとしても、「いやぁ、サラダのドレッシングは〇〇にして」とか、「バターは少な目で両面焼いてね」などといった個別リクエストをします。日本人が「決めたくない人(お任せしたい人)」なら、アメリカ人は「決めたい人」なのです。

「選択の自由」を前面に出して売り込まれる、401(k)や健康保険プラン

そのため「You are free to choose from 〇〇.(〇〇の中からどれでも自由に選べます)」とか、「It’s your choice.(あなたの選択次第です)」といったフレーズはマーケティングの常套句です。401(k)※1などの確定拠出年金や健康保険プランの売り込みにも頻繁に使われます。

※1編集部注……401(k)とはアメリカの確定拠出型年金制度。雇用主が福利厚生の一部として提供するもので、加入は雇用主を通して行う。掛け金は従業員の給料から、また多くの場合、企業からも従業員の拠出額に応じて一定額拠出される(マッチング・プログラム)。

1980年代のアメリカでは、確定給付年金※2のある企業(団体)で働く人は全体の60%でしたが、今ではそれが17%にまで低下し、それとともに確定拠出年金への移行が進んでいます。企業にとってみれば、資金運用をして将来的に確定した給付金を支払う重責から解放され、年々決められたお金だけ拠出(確定拠出)しさえすれば役目は終わり、後の運用成績は個人の責任となるシステムは、ある意味、経営上都合のよいものでもあります。

※2編集部注……企業が拠出・運用・管理・給付までの責任を負い、雇用者への給付額があらかじめ約束されている企業年金制度。

これを「今までは会社がやっていたので選ぶ余地がなかったのが、これからは会社からもらったお金を、好きなだけ積立に回せ(上限はあります)、自分で選んだファンドで自由に運用していくことができる!」と売り込むわけです。

健康保険も同様です。日本の方には、アメリカの医療や健康保険制度が理解しがたいと思いますが(アメリカに住んでいても理解しがたいですが)、とにかく日本の健康保険や国民健康保険のように画一的ではなく、いろんな意味で多くのバリエーションがあります。

まず、行く医療機関によって、全く同じ医療措置を受けても値段が大きく違います。その差といったら恐ろしく、例えば全く同じ心臓のバイパス手術をしてもA病院では300万円、B病院では600万円ということはよくあります。またこの値段とそれぞれが加入している保険のプランに従い、負担がほとんどなかったり、40%負担だったり、100%負担だったりします。保険が提携している病院ネットワークだと負担は低いが、それ以外だと負担が高いということもあります。自己負担の軽い保険は月々の保険料が高く、自己負担の多い保険は月々の保険料が安く設定されているということもあります。

個人は、自分の健康状態と、自分のかかりたい病院と、月々支払う保険料と、病気になった時の負担率を総合的に考え合わせながら(実際のところ、ほとんど無理に近いことです……)、複数の選択肢の中からどの健康保険プランがよいかを選ぶわけです。

「保険プランはどれでも自由に選べます」「病気になったら、自分にあった病院を自由に選べます」「安い病院を選べば自己負担額も低くなります」という具合で、言ってみれば「選択攻め」です。確定給付年金から確定拠出年金への移行のごとく、企業や保険会社が昔、請け負っていた選択・運用の部分が個人に振り分けられています。

選択の自由が拡大した結果、さらなる格差が生まれた

さて、個人の選択の自由が拡大した結果どうなったのか――米国シンクタンクの『Economic Policy Institute』の報告では、確定給付年金から確定拠出年金への移行はさらなる格差を生み出し、低所得・高卒以下・黒人/ヒスパニック・非婚者にとっては“disaster(惨事)”であり、たとえ高所得・大卒・白人・既婚者カップルであっても、十分な老後の準備ができている人が少ない(つまり十分に資金が貯まっていない)としています。また、健康政策ジャーナルの『Health Affairs』は、個人選択をベースにした健康保険システムは結局成功を見ることはなく、その理由は個人が比較検討するのに必要となる情報の透明性が低く、選択自体が機能をしていないと指摘しています。

こんなアメリカに生きていて思うのですが、自由の裏には責任があり、権利の裏には義務があるということです。

「自助努力」が本当に機能するためには、選択の自由と権利が与えられて喜んでいるだけではダメで、与えられている機会や選択肢を知り、情報を集め、自分のニーズを理解し、最善の選択をしていくという重い責任と義務があることを十分に理解しておくことが必要と考えます。人間誰しもずるずる選択を先延ばしにしたり、結局選択をしないでおく……ということもありますが、これも一種の責任の不履行であり、結果は自分が摘み取ることになるわけです。

一方で、システムや情報を提供している側からすれば、透明で偏りのない情報を準備して、人々が学ぶことを助ける必要があるとともに、社会の中にはそれが難しい人々もいることも想定して、そういう人たちのためには選択を極力簡単にするか、あるいは代わって選択してあげる社会的優しさも必要なのではないかなと思います。またこれと併せて、個人の立場に立って、情報を整理し選択を助ける中立的なファイナンシャルプラナーやアドバイザーが、これからますます活躍の場を広げていくのではないでしょうか。