自分で決めたいアメリカ人、決めたくない日本人
アメリカには「自助努力」の精神が根付いていると言われます。
「自助努力」とは、辞書的に言えば「他を頼らず、自力を尽くして物事を成し遂げようとすること」だそうです。そう考えれば、「たとえ物事が上手くいかなくとも他を責めずに自分を顧みる力」と対になっていなければならないと思うのですが、昨今のアメリカの政治事情を見ていても首をかしげるところも多いです。
ただ、自助努力について考える大前提として一つ言えるのは、アメリカ人にとって「自分で決められる」自由が不可欠ということです。アメリカ人と言ってもいろんな人種が混じっているわけではありますが、概してアメリカでは、「選択の自由」が重要視されていると感じます。日本人にとっても「選べる」ことは大切かもしれませんが、同時に日本人には「良きに計らえ」的な感覚もあると思います。
例えば、レストランのコース料理。Aコース、Bコースの別を選べば、料理のラインナップはすでに決まっており、多くの日本人はそれで満足。むしろ、前菜、スープ、サラダ、メイン……といちいち組み合わせを考えながら選ぶ労力から解放され、喜ばしくも思うのではないでしょうか。
アメリカ人はそうはいきません。だいだいレストランで「定番コース料理」が提供されていること自体がほとんどありません。もしあったとしても、「いやぁ、サラダのドレッシングは〇〇にして」とか、「バターは少な目で両面焼いてね」などといった個別リクエストをします。日本人が「決めたくない人(お任せしたい人)」なら、アメリカ人は「決めたい人」なのです。