今でこそ“さげすみ”の対象だが、「JTC」はかつて憧れの的だった

JTC(Japanese Traditional Company)という言葉を初めて聞きました。年功序列などを引きずる古い体質の日本企業のことを言うそうですね。そこには“やゆ”や“さげすみ”のニュアンスが含まれているとも……。自分より仕事ができない人が、年次が上だというだけで給料が高かったり、あるいは社員の意向や明確な方針のない人事異動などが、若者には敬遠されがちだとか。

そんな日本の記事を読んで思ったのですが、1990年前半、私がアメリカのビジネススクールに留学していたときは、JTCが「憧れの的」でした。ちょうど、バブルがはじけたかはじけないかの頃でしたが、日本経済への敬意は依然として深く「どうやって日本は成功したか」「日本の効率化をマネるにはどうしたらいいか」「日本レベルの品質を実現するには?」など、日本人というだけでいろんな質問やコメントを受けたものです。

そこでいつも話題になったのは日本企業を支えた三本柱である、終身雇用・年功序列・企業内労働組合でした。

すでに当時のアメリカには、四半期ごとの短期的利益率を追求し、株主に利益をもたらさなければ企業の存在意義はなし、パフォーマンスが悪ければ人もプロジェクトもすぐ切るという、いかにもアメリカ的な経営手法がありました。

そんな中、三本柱の上に立つ日本企業は、短期的な株価の上下にはとらわれず、長期的視野に立って人材や研究開発にじっくり投資し、社内の多くの部署を経験したジェネラリストを育て上げ、会社がまるで家族のようで社員の忠誠心が高いのですよ……などと、自分の手柄でもないのに誇らしげに語ったものです。

それが今や「JTC」と呼ばれ、さげすまれるのも時代の変遷と言えばそれまでですが、いくばくかのさびしさも覚えます。

今や情報化が進み、昔のように社内と社外の境目どころか、国と国のボーダーもなくなりつつありますから、仕方がないことかもしれません。

仕事の内容、専門性、給料、待遇などの情報の入手や比較も簡単になり、そういう意味では年功序列や終身雇用を支えていた、いい意味での「不透明さ」が取り払われてしまったのかもしれません。いったん「知って」しまえば、人はやはり条件がいいところのほうがいいに決まっています。好きな仕事をして理に適う人事をしてくれる会社の方がいいに決まっています。

手厚い社内教育を施してやっと育てたと思った社員が、より給料の言いGAFAを代表とする米系会社に転職していってしまうことも多いとも聞きました。