朝、郁美は柔らかな光に包まれながら目を覚ました。ぼんやりとした意識の中で、隣のベッドがすでに空になっていることに気づく。寝室を出てリビングに向かうと、夫の宗司がカメラバッグを整理している姿が目に入った。

「おはよう。今朝は早いんだね」

郁美が声をかけると、宗司は顔を上げてほほ笑んだ。

「おはよう。今日はちょっと遠くで撮影だからね。早めに出たいんだ」

宗司は現在、フリーのカメラマンをしている。長い間、出版社に所属していたが、昨年40歳の節目に会社を辞めた。一方の郁美は、在宅のみで仕事をするWEBデザイナーだ。夫婦の間に子供はいない。都心に縛られる必要のなくなった郁美と宗司は、この春、郊外へ越してきたのだった。

2人が新しいすみかに選んだのは、静かな住宅街にあるフルリノベーション済みのマンションだ。築年数こそ古いが、防音や湿気対策も万全だ。モダンで洗練された内装はまるでホテルのようで、郁美はこの新しい住まいをとても気に入っていた。広々としたリビング、落ち着いた色合いのキッチン、そして何より大きな窓から差し込む柔らかな自然光が、郁美の毎日の生活を彩っていた。

「そうなんだ。夕食は一緒に食べられる?」

あくびをしながら尋ねると、宗司は郁美のためにコーヒーを入れ、穏やかに答えた。

「たぶんね、そこまで長引かないと思う」

郁美はコーヒーカップを受け取りつつ、宗司に提案した。

「それじゃあ、今夜はワインバルに行ってみない? この前、散歩してるときに新しいお店を見つけたの」

「お、いいね。郁美はおいしい店を開拓するのがうまいからな。楽しみだよ」

そんな風にディナーの約束を取りつけたところで、宗司は重そうなカメラ機材を担いで仕事に出掛けて行った。フリーカメラマンになってからの彼は、どこか生き生きとしている気がする。きっと会社勤めをしていたころに比べて、余計なしがらみが少ないからだろう。元から個人で仕事をしていた郁美も、郊外に越してきてからの方が制作のクオリティーが上がった気がしていた。

子供のいないアラフォー夫婦の気ままな日常。せわしない都会の暮らしから解放され、宗司と2人だけの平和な時間が続く。郁美はようやく、望んだ人生を手にできたような気がしていた。