シングルマザーの台所事情

それからタクシーで保育園へと向かった。途中で両親を拾い、4人で保育園へと入っていく。李菜はいったん教室に向かい、康子たちはシートを広げて場所取りをした。

「良かったわね。今年は康子も来れて」

母の香織は頰を緩め、父の徹も同調するようにうなずいていた。

「できれば、行事は全部出たいんだけどね」

「それはさすがに難しいのか?」

徹の問いに康子はうなずく。

「私の仕事は、土日も基本的にやらないといけないからね」

康子は不動産会社で営業の仕事をしている。土日でも出勤するのが当たり前だ。

「それなら、別の仕事したらいいのに。もっと融通が利くパートだってあるでしょう?」

「正社員の立場を捨てろっての?」

のんきな香織の発言に思わず厳しい声で答えてしまった。

香織が困ったような顔をする。言い過ぎたとは思ったが、謝る気持ちにもならなかった。香織は母子家庭がどれほど大変かを知らないのだ。前の夫が浮気をしていることが分かって離婚を決めた際、康子の念頭にあったのは、これからどうやって李菜を育てていくかということだった。

そもそもひとり親世帯の平均年収とふたり親世帯の平均年収には、大きな開きがある。とはいえ今の世のなか、共働きが当たり前になっているのだから仕方がない。しかし康子が我慢ならないのは、父子家庭なら500万円以上ある平均年収が、母子家庭になると272万円にまで下がることだ。

李菜には父親がいないことで負い目を感じさせたり、苦労をかけているはずだ。だからこそ、経済的な側面で我慢をさせるようなことは絶対にしたくなかった。それなのに、そんな気持ちも知らないで、正社員として働くことに文句を言われれば、当然腹も立った。やがて微妙な応援席の空気をかき消すように、軽快な音楽が鳴り始める。子供たちが入場ゲートから入ってくる。康子はカメラを構えて、李菜を撮り始めた。

たくさんの種目があるなかで、康子が心待ちにしているものがある。李菜たちの4歳児のクラスはみんなでダンスを踊ることになっている。家でもずっと練習しているのを見ていたからこそ、晴れの舞台が楽しみだった。3歳児たちの徒競走が終わり、入れ替わりにチアリーディングの衣装を着た李菜たちが登場してくる。隣の香織や他の保護者たちはかわいいとあちこちで声を漏らしている。軽快な音楽が鳴り始めて、李菜たちは練習通りに動きを合わせてかわいらしいダンスを踊り始める。李菜は真剣な表情でステップを踏んだり、回ったり、手を振ったりを繰り返す。康子は夢中でカメラを回し続けた。

鳴りやまない拍手の中で、昼休憩のアナウンスがされ、運動服に着替えた李菜が応援席にやってくる。グラウンドに引いたレジャーシートの上で、お弁当を広げる。

「李菜ちゃん、上手だったわね~。見とれちゃった~」

「家でもずーっと練習してたもんね。1番上手だった!」

香織と康子に褒められて、李菜は照れくさそうに唐揚げを食べている。康子と徹はそんな李菜を笑顔で見ていた。すると李菜がこちらに目を向ける。

「ママ、次出るんでしょ?」

李菜の言葉で、午後の最初の種目が保護者参加の障害物リレーであることを思い出す。康子は李菜の前で握りこぶしを作ってみせる。

「もちろん。見ててね、ママ、頑張るから」

そう言うと、李菜はゴムボールが跳ねるように何度もうなずいた。

※厚生労働省「全国ひとり親世帯等調査」より