父親の死

母親は山口さんが中学生になった頃から、父親に対する不満をぶつけてくるようになった。

「母は私に、『あなたが成人したら離婚するつもりでいる。今はあなたのために我慢している』などということを、毎日口癖のように吹き込んできました。そしていつしか、『私が母を守らなければ』と思うようになっていたのです」

やがて山口さんが高校生2年になった頃、父親に微熱が続く。長い間風邪薬を飲んでいたが、肺炎を起こしたため病院を受診すると、肺がんのステージⅡだった。父親はすぐに手術を受け、3カ月で退院。しかし1年後に再発してしまう。

再発後は入退院を繰り返しながら再手術や放射線治療を受けたが、最初の発覚から約4年で亡くなってしまった。

父親52歳、山口さん20歳の頃だった。

母親の変貌

一方母親は、父親のがんが発覚した途端、一夜にして病気の夫に寄り添う献身的な妻へ変貌を遂げた。

母親は父親の看病のために父親の病室に泊まり込み、病院から仕事に通った。

兄は大学入学を機に一人暮らしをしていたが、高校生だった山口さんは母親の妹の家に預けられた。

やがて母親は親戚や近所の人から、「献身的な妻」と称賛され始めると、自分でもあちこちで看病の大変さを話して回る。

「母は、私の存在など忘れたかのように、仕事と看病だけしていました。まるで悲劇のヒロインです。完全にかわいそうな自分に酔っていました……」

しかし父親が亡くなると、母親の関心はたちまち山口さんに向けられた。

母親は短大を卒業した山口さんを、自分の口利きで金融系の会社に入社させ、今まで定められたことがない門限を20時と定める。1分でも遅れれば内鍵をかけられるため、会社の飲み会も途中で帰らなければならなかった。

夫の豹変

山口さんは23歳になる頃、高校2年生の頃から交際していた1つ先輩と結婚。

同じ年に第1子を妊娠すると、喜んだのもつかの間、直後からひどいつわりが始まる。食べられない、水分もとれないで脱水症状を起こし、入院。3カ月で退院するも、つわりで動くことができず、1日中寝たきりの生活が続いた。

ところが、帰宅してもつらそうな様子の山口さんをいたわるでもなく、ただ退屈に感じていた夫は、次第に仕事から帰宅する時間が遅くなっていく。会社の後輩に誘われたのがきっかけでパチンコやビリヤードなどに行き始めると、そこからさまざまな遊びにのめり込んでいった。

●長男を出産後、夫は山口さんに対して「衝撃的な言葉」を投げかけます。詳細は後編【夜遊びばかりの上に義母ファーストな夫…我慢を続けた女性が離婚を決意した「決定的な理由」】で詳説します。