確定拠出年金を通して、いろいろな方とお金に関する話をする機会があります。年代が上の方であれば、定期預金の金利が5%を超えていた時代もあった、といった話題になります。若い世代の方には、ピンとこないかもしれませんが、金利が5%だったのは1990年なので、30年少々前のこと。50年、100年前というわけではありません。

為替も1ドル75円32銭まで円高になったのは、2011年10月31日なので、13年前です。ドル円レートが140〜150円近辺で定着している昨今からすると、隔世の感があります。

日経平均株価が大きく変動した平成の市場環境

平成が始まった1989年はバブル経済のピークといわれています。1989年12月29日の日経平均残高の終値は3万8915円87銭と最高値を付けました。

1985年以降、上昇を続けていた株価や地価は、1990年代になると下落し始めました。また、名目GDPの上昇率も1992年をピークに下がっています。

1994年ごろから、不動産業や建設業などからの銀行への返済が滞るようになり、金融機関の「不良債権」が取りざたされるようになりました。

1997年には三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券が経営破綻しました。アジア通貨危機による影響もありました。さらに1998年には日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が国有化で消滅し、その後も不動産融資への対応が遅れた不動産や建設、金融関連企業の破綻が続きました。2003年にりそな銀行に公的資金が注入され、その後、2005年4月のペイオフ(※1)解禁で、金融機関の不良債権処理が終わったことが印象付けられました。

一方で1999年から2000年にかけて、米国ではインターネット関連企業の株価が急騰し、ITバブルが発生しますが崩壊。2008年には米国のサブプライムローンをはじめとする証券化商品が暴落して、米国の大手金融機関が破綻しました。リーマンショックの余波は日本にも及び、失業者が増加しました。また、円高が進み、輸出企業の業績悪化もあって、2009年3月には日経平均がバブル後最安値の7054円まで下落しました。

2012年12月に第二次安倍政権が誕生し、「3本の矢」政策が打ち出されました。いわゆる「アベノミクス」です。日経平均株価は2012年11月の8000円代から上昇し、12月には1万1000円台に、その後、2013年4月には日銀の総裁が変わり「黒田バズーカ」で日経平均は1万6000円台に上昇しました。
※1 ペイオフは銀行の破綻に際し、1000万円までの元本と利息を保証する仕組み。