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アフガニスタンで英雄と呼ばれる日本人をご存じでしょうか。2019年に銃撃を受けて亡くなった中村哲(なかむら・てつ)医師です。氏は医療者でしたが、干ばつに苦しむ現地のため用水路を自ら建設し、多くの命を救いました。

メスではなく重機で人命を救った医師

中村医師がアフガニスタンに診療所を開設したのは、ソ連・アフガン戦争が終結してわずか2年後の1991年です。同じ年には湾岸戦争が勃発し、2001年にはアメリカがアフガニスタンへ侵攻するなど、決して治安のよい時期ではありませんでした。しかしこれらの紛争が続いても、中村医師は現地で人道支援を続けます。

2000年ごろ、アフガニスタンで大規模な干ばつが発生しました。影響は甚大で、WHOは約400万人が飢餓に直面し、およそ100万人が餓死線上にいると警告します。国立社会保障・人口問題研究所によると、2000年におけるアフガニスタンの人口はおよそ2373.5万人です。アフガニスタンを襲った大干ばつは、実に人口の16%以上が飢餓に見舞われた、まさに未曽有の危機でした。当時の状況について、中村医師は国会で以下のように答弁しています。

アフガニスタンが一番ひどくて、被災者が1200万人、400万人が飢餓線上にあり、100万人が簡単に言うと餓死するであろうという発表がありましたのは、約1年半前でございました。……食糧だけではなくて飲料水が欠乏して、次々と廃村が広がっていくという事態が起きたわけでございます。下痢、簡単な病気で主に子供たちが次々と命を落としていったわけでございます。

出所:衆議院 第153回国会 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会 第5号(平成13年10月13日(土曜日))

干ばつの被害を目の当たりにした中村医師は井戸を掘り始め、その数は2006年までに1600カ所に上りました。地下水の枯渇に直面すると、次は自ら重機を操り用水路の建設に取り組みます。川と農地を結ぶ循環型の用水路は2010年に完成し、乾いた農地は水田ができるまでに復活しました。

2019年12月4日、中村医師は武装勢力から銃撃を受け亡くなります。2カ月前にはアフガニスタン政府から名誉市民権を授与されたばかりでした。

同月11日に氏の故郷である福岡市で開催された告別式には、約1500人の参列者が集まり、中村医師の死を悼みました。式には多くのアフガン人も出席したようです。日本政府は中村医師の功績をたたえ、同月23日に旭日小綬章の授与を決定しました。中村医師が作った用水路は、現在もおよそ65万人の命を支えています。