多様化社会の先駆者としての相撲界

外国人の力士が相撲界に初めて入門したのは、1964年のハワイ出身の高見山だ。激しい稽古や慣れない環境の中で苦闘するも、全盛期には身長192センチ、体重205キロの巨漢となり、幕内優勝を経て関脇の地位を獲得する。

その後、高見山自身のスカウトで同郷のハワイ出身の小錦が来日、大関にまで昇進する。ハワイ出身者は、その後も1990年代にかけて増え続け、10人近くの力士が番付表に名を連ねるときもあった。

この時期、アルゼンチンから2人、ブラジルから5人と、南米からの力士が増加する一方、ヨーロッパからも力士が来日する。

しかし、何よりも耳目を集めたのは、モンゴル出身力士の活躍だろう。1992年に旭鷲山、旭天鵬など6人が入門する。とりわけ、旭鷲山はモンゴル出身力士の増勢に大きく貢献したとされる。一時期圧倒的な強さを見せた横綱・朝青龍も旭鷲山に憧れて来日、明徳義塾高校を経て角界入りした。これに続いた白鵬、日馬富士、鶴竜など、モンゴル出身の横綱たちの来日にも旭鷲山の影響があったとされる。

外国出身力士の急増を受け、外国出身の力士は1部屋に1人と制限されたが、彼らの活躍に胸を躍らせる日本人は多い。2022年7月場所においても、幕内の外国出身力士は8人を数える。横綱・照ノ富士をはじめとするモンゴル出身が6人と圧倒的だが、ブルガリア出身の碧山、ジョージア出身の栃ノ心も名を連ねる。

今や多様性の時代だといわれるが、その先端を走っているがごとき相撲の世界だ。日本人だけで運営される大相撲は、今となっては想像もできないほどだ。しかし、外国出身力士が入ってくることで互いに切磋琢磨する雰囲気が、日本人だけの場合より醸成されているのではないだろうか。

筆者が30代になったばかりのときに、アメリカに初めての視察旅行に出かける機会があった。そのときの上司がかけてくれた言葉が、いまだに心に残る。「アメリカは人種のるつぼだ。しかし、その人種間の摩擦こそがアメリカ発展のエネルギーになっている。よく見てきた方が良いよ」。良い意味での摩擦は、どの世界にも必要であろう。

執筆/大川洋三

慶應義塾大学卒業後、明治生命(現・明治安田生命)に入社。 企業保険制度設計部長等を歴任ののち、2004年から13年間にわたり東北福祉大学の特任教授(証券論等)。確定拠出年金教育協会・研究員。経済ジャーナリスト。著書・訳書に『アメリカを視点にした世界の年金・投資の動向』など。ブログで「アメリカ年金(401k・投資)ウォーク」を連載中。