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1972(昭和47)年の7月16日に、大相撲名古屋場所でハワイ出身の力士・高見山が外国出身力士として初めての幕内優勝を果たした。この快挙を記念しようと、「外国人力士の日」が制定された。

力士との最初の2ショットはモンゴル出身の関取と

筆者が子供時代の高度経済成長期に、「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語があった。野球の巨人、横綱の大鵬、卵焼きが、子供たちに人気のあることから定着した言葉だ。サッカーがまだ盛り上がりに欠くなど、プロスポーツといえば野球と相撲が主体の時代だった。

このためか、大相撲にまつわる思い出は多い。学生時代、帰郷すると郷里での巡業場所があり、祖父が観戦に連れて行ってくれたことがある。たまたま、砂かぶり席といわれる土俵最前列の席だ。最前列で見上げるせいか、改めて大鵬など力士の体格の大きさに圧倒された。

ビジネスマン時代は、法人関係の営業に携わったとき、顧客を何度か招待し国技館に同行したことがある。2階席の最前列の数席が当社の指定席になっているため、升席に比べて長時間座っていても疲れない。話も弾み顧客との関係づくりには好都合だった。取組ごとに運ばれてくる各力士用の座布団の色の鮮やかさ、カラフルなまわしなど、上段から見ることもあり、まさに華やかな江戸文化を見るようだった。一世を風靡した横綱・曙の足が、日本人力士と比較して意外とほっそり見えたり、3代目若乃花の肌の白さが際立っていたのも印象的だった。

また、2013年4月の靖国神社・奉納相撲にノコノコと出かけて行ったことがある。取組の間に、土俵から離れた場所を力士が歩いたりしている。たまたま見かけたモンゴル出身の前頭・時天空関に声をかけ、写真を一緒に撮ることをお願いした。意外にも、快く応じてくれ写真に納まったのが懐かしい思い出だ。人柄の良さを感じさせる好青年だった。しかし、その後しばらくして、37歳の若さで亡くなったのが残念だ。