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1946(昭和21)年2月16日、当時の幣原喜重郎内閣は新円切り替えを発表しました。新円切り替えから預金封鎖、財産税の課税が強制的に行われ、多くの国民が財産を失ってしまったのです。終戦後の日本に実際に起きた、事実上の国による財産没収でした。

1946年に日本で起きた預金封鎖とは?

預金封鎖は、金融機関からの預金引き出しを制限することで国の財政を立て直す目的などで行われます。終戦後の日本だけに起きた特殊なイベントではなく、過去に世界各国で発生してきました。以下は2000年以降に実際に起きた預金封鎖です。

・2001年12月:アルゼンチンで銀行業務の停止
・2002年7月:ウルグアイで銀行業務の停止
・2013年3月:キプロスで預金封鎖とネット上の資金移動制限

預金封鎖は頻繁に発生するわけではありませんが、現代でも世界各国で行われていることが分かります。つまり、必然性があれば、今後も行われる可能性があるというわけです。

預金封鎖が起きた終戦後の日本の状況

終戦後の日本はさまざまな要因が重なり、ハイパーインフレが起こっていました。最大の要因は戦時国債の発行により、終戦時の日本の債務がGDPの約2倍にまでなったことです。戦争にかかる莫大な費用は税金だけではとても賄いきれず、政府は大量の国債を発行していたのです。

また、終戦時に大陸からの引き揚げなどで国内の人口が急激に増加し、物資の供給が追いつかなくなりました。さらに、1945年はまれに見る凶作で食糧まで不足したのです。それらの負の連鎖により物の値段が上がり、猛烈なインフレが起きたというわけです。