茶人「即翁」としての一面も

畠山氏は茶人としても知られています。自身を「即翁」と号し、長年美術品の収集・保護に努めました。1964年には美術品の恒久的な保存と公開を行うため、私邸の一部を使い「畠山記念館」を開館しています。

畠山氏の文化に対する思いは「荏原畠山記念文化財団」へ引き継がれています。1960年の設立以降、科学技術や教育、また文化・芸術など幅広い分野へ援助を行ってきました。

2021年度も、「日本機械学会」などの団体のほか、畠山氏が生まれた石川県や全国から公募した学生などに対し、年間で4000万円以上の援助を予定しています。

【荏原畠山記念文化財団の主な援助の予定(2021年3月期)】・一般社団法人日本機械学会:200万円・公益社団法人発明協会:200万円・石川県(奨学金):250万円・児童養護施設等を退所し理工系の大学等に進む学生への援助:1440万円・公益財団法人七尾城祉文化事業団:100万円・公益財団法人元興寺文化財研究所:20万円

「世界に追いつき、世界を追い越していこう」 畠山一清の名言

荏原製作所はホームページで畠山氏の名言をまとめています。ここでいくつか抜粋してみましょう。

「世界に追いつき、世界を追い越していこう」

畠山氏がゐのくち式機械事務所を起こした1912年、ポンプは海外製が主流でした。画期的なゐのくち式ポンプをもってしても、その環境は厳しいものであったでしょう。

しかし、自社の製品に自信があった畠山氏は国産ポンプの採用を訴え続けます。そして1925年、東京市淀橋浄水場で海外製ポンプと性能を比較する機会を得ました。結果、優れた性能を証明し、水道向けポンプの国産化を初めて実現できたのです。

今では荏原製作所の売上の半分以上を海外が占めます(2020年12月期の海外売上高比率:55.0%)。「EBARA」ブランドが世界で認められた証といえるでしょう。

「われわれがこの世の中に生活していくためには自ら大変な消費をする。その消費を償ってなおかつプラスのものを後世に残していかなければならない」

今日でこそ「SDGs(エスディージーズ)」の考えが広まっていますが、畠山氏は国連サミットで採択される2015年よりはるか以前から同様の考え方を持っていました。

荏原製作所も1961年から環境事業に取り組んでいます。2020年10月までに国内外450施設以上の納入実績があり、荏原製作所を支える第3の柱になりました。畠山氏の「目利き」が現在の荏原製作所を形作ったといえるでしょう。

執筆/若山卓也(わかやまFPサービス)証券会社で個人向け営業を経験し、その後ファイナンシャルプランナーとして独立。金融商品仲介業(IFA)および保険募集人に登録し、金融商品の販売も行う。2017年から金融系ライターとして活動。
AFP、証券外務員一種、プライベートバンキング・コーディネーター。