11月17日は標準ポンプの国内シェア首位「荏原製作所」の創業者、畠山一清(はたけやまいっせい)氏が亡くなった日です。
同社の特定分野のカスタムポンプやコンプレッサのシェアは世界でもナンバーワン。創業から100年以上経っても成長は止まっていません。直近の売上は5000億円超、株式の時価総額6000億円を超える、まさに「ものづくり日本」を象徴するメーカーといえるでしょう。
七尾城主の子孫から実業家へ
畠山氏は1881年、能登(石川県)の七尾城主の家系に生まれますが、当時は明治維新のさなか。暮らし向きは決して豊かとはいえませんでした。その後、苦労しながらも東京帝国大学工科大学を卒業し、国友機械製作所の技術者としてキャリアをスタートします。
畠山氏は国友機械製作所に所属しながら、東京帝国大学の井口在屋(いのくちありや)教授が発明した画期的な新型ポンプの実用化を手掛けます。国友機械製作所が経営に行き詰まると、1912年に自宅で「ゐのくち式機械事務所」を起こし、新型ポンプの実用化を続けました。畠山氏31歳のときです。
1920年にはゐのくち式ポンプ以外の製品も手掛ける意図から、現在の荏原製作所へと社名を変更。冷凍機やろ過装置など、さまざまな国産初の製品を世に送り出しました。現在では1985年に参入した精密・電子事業(半導体向けのドライポンプなど)が第2の柱に育っています。
畠山氏は1971年、91歳で亡くなります。しかし畠山氏が遺した荏原製作所はその後も数々の経済危機を乗り越え、従業員は連結で1万7000人を超えました。2021年12月期は過去最高益を見込んでおり、今日も世界をけん引しています。