万が一大きな病気などにかかった時――身体のことはもちろんですが、治療費がいくらなのかという不安も頭をよぎるのではないでしょうか。かといって誰に相談していいのか分からず、結局支払い時になって総額を知ったという経験を持つ読者の方も少なくないでしょう。
「患者やその家族がお金の悩み相談をできる相手として、FPの存在感を高めていきたい」そう語るのは“メディカルファイナンス”をテーマに、病気に対する経済的備えの大切さを伝えてきたFPの黒田尚子氏。「おさいふリング」や「がんと暮らしを考える会」など、病院やNPO法人で開かれる無料相談会への参加や、同じがん経験者としての立場で問題を分かちあうピアサポートを続ける黒田氏に、自身の取り組みに対する思いやFPが存在感を発揮するための課題について伺いました。
お話を伺ったのは…
CNJ認定乳がん体験者コーディネーター
黒田尚子(くろだ なおこ)
立命館大学法学部卒業。日本総合研究所に入社してシステム開発に関わりつつ、在職時にCFP®の資格を取得。退職後、1998年から独立系FPとして活動を始める。個人相談のほか、セミナーや講演の講師、新聞・書籍・Webサイトなのでの原稿執筆を行うなど、幅広い活動を行う。2009年に乳がん告知を受けてからは、医療に関する資金計画を立案・提案する「メディカルファイナンス」を提唱し、その活動に尽力する。乳がん体験者コーディネーターの資格も取得し、標準治療などの治療法をはじめとしたエビデンス(科学的根拠)のある乳がんの医療情報にアクセスし解決できるスキルも学んでいる。聖路加国際病院では、がん患者が経済的な問題を気軽に相談できるグループプログラム「おさいふRing」のファシリテーターを務め。NPO法人「がんと暮らしを考える会」の理事としても活動している。
FP資格を取得したきっかけはキャリアに対する不安
——FPになったきっかけについて教えてください。
元々、私はシステムエンジニアとしてまったくの異業種で働いていました。仕事にやりがいを感じていましたし、自分が担当している業務に欠かせない存在だという自負もありました。
ところが、入社4年目のとき、子宮筋腫で1ヵ月ほど入院した際、自分がいなくても滞りなく仕事が進んでいることに気づいてしまったんです。頭では分かっていたことですが、会社にとっての私は代わりのきく歯車でしかなかったという事実を突きつけられて、本当にショックでした。病院のベッドに横たって天井を眺めながら、「今仕事を辞めたら自分には何が残るんだろう」とそればかり考えていたのを覚えています。そんなこれからの人生を模索しているとき、自己啓発の目的で取得したのがFP資格だったんです。
結局、仕事に復帰したあとも入院中に感じた虚しさが残り、いったん人生をリセットするつもりで、27歳の頃に退職しました。
——退職後はどのような活動をされていたのですか?
退職後は、しばらく海外をまわって色々な国を訪れました。帰国後もすぐに求職活動はせず、FPを取得した際に資格スクールなどで知り合った仲間が主催する勉強会に頻繁に参加していたのです。その頃はFPとして独立しようなどとはまったく考えておらず、またシステムエンジニアとして働くつもりでした。
そんなとき、暇そうな私を見かねてか、FPの先輩が金融系雑誌の仕事を紹介してくれたんです。2~3ページ程度の原稿執筆でしたが、それがFPとしての初仕事でした。自分の名前がFPとして雑誌に掲載されたのを目にしたとき、とても嬉しかったです。
以降、セミナー講師や原稿執筆の依頼を紹介してもらう機会が増えていきました。定期的に相談業務もこなし、可能な限り断らないスタンスで仕事を続けているうちに、再就職どころではなくなり、正式に独立FPとして開業することにしたのです。28歳のときでした。