FPの後進を育てる「山中塾」を運営している山中氏。アメリカでの経験がきっかけとなり、自身も相談業務を行うFPで多くの実績を持ちつつ、“塾”の運営を決めた理由はどこにあるのでしょうか。また、塾の運営のなかで大切にした“FPの個性の尊重”の理由、そして数多のFPを客観的に見てきたからこそ分かる、「相談者に支持されるFP像」について伺いました。

そして、「いろいろなタイプのFPが大勢いる社会が理想」と言う山中氏にそんな社会が実現するには、どんな課題があるのかもインタビューしてみました。

お話を伺ったのは……

 
アセット・アドバンテージ 代表取締役
FP相談ねっと 代表
公的保険アドバイザー協会 理事
ファイナンシャルプランナー(CFP®)

山中伸枝(やまなか のぶえ)

1993年米国オハイオ州立大学ビジネス学部卒業後、メーカーに勤務。これからは一人ひとりが自らの知識と信念で自分の人生を切り開いていく時代と痛感し、お金のアドバイザーであるファイナンシャルプランナー(FP)として2002年に独立。年金と資産運用、特に確定拠出年金やNISAの講演、ライフプラン相談を多数手掛ける。金融庁サイトでの有識者コラム連載を執筆するほか、『50歳を過ぎたらやってはいけないお金の話』(東洋経済新報社)など著書多数。

自分のライフプラン、ライフデザインを持つ大切さを感じた海外生活

——FPを志したきっかけについて教えてください。

FPの資格を取得する、10年くらい前のことです。私は結婚してすぐ米国に移住し、現地の大学で4年間を過ごしました。留学生も含め、どの学生も自分の人生のビジョンをしっかりと持ち、成長する場として米国という国、大学という場所を選んでいたんです。

日本では奨学金というと借金のイメージが強いですが、米国では自己投資と捉えられているんです。だから誰もが投資を回収しようと、自分のキャリアアップに必死でした。米国は自由の国とも呼ばれていますが、それは「挑戦は歓迎する、ただし自己責任で」という考えを前提にしています。自分の夢を叶えるためには相応の努力が必要です。

一方、高度成長期に育った私は、多くの日本人と同様、人と違うことさえしなければ、ある程度の幸せが約束されていると思い込んでいましたから、米国で出会った人々の熱量の違いに刺激を受けるのと同時に、大変そうだなという感想を持ったのを覚えています。

ところが帰国してみると日本社会の様相は変わっていました。

私たちを守ってくれていた「終身雇用」「退職金」「公的年金」といった制度は綻び始め、人と同じ生き方をするだけでは安心できなくなっていました。自分の人生を自分で守る自己責任の考えが、日本でも重要になったのです。

私はたまたま海外にいたので、自分のライフプラン、ライフデザインを持つ大切さを明確にできていましたが、日本には何が問題で何をすれば良いのか気づいていない人も大勢いる。そんな人たちのお手伝いをしたいと思ったのが、FPを志したきっかけですね。