自民党の資産運用立国議員連盟の提言を受け、金融庁が「プラチナNISA」を創設して高齢者に限りNISAの対象商品に毎月分配型投信を加える方針と報じられて2カ月余りが経った。今回の件は毎月分配型に免罪符を与えるかたちとなり、プラチナNISAの成立が見通せない状況にも関わらず、同庁の方針転換を伝える報道の影響が広がっている。
実際、同庁の指導に従って毎月分配型の販売に抑制的であった地銀でも「一部の販売員が大手を振って毎月分配型を提案するようになった」(北関東の地銀の本部担当者)との声が聞かれる。
既に指摘したようにプラチナNISA創設は金融庁よりも資産運用立国議連など政治主導で進んできた話だが、同庁も乗り気になった面は否めない。金融庁はなぜ販売会社から手のひら返しと見られかねない毎月分配型の解禁を検討するに至ったのだろうか。
狙いは資産活用、シニアに積み上げた資産を使ってほしい
金融庁が毎月分配型解禁に傾いたのはNISAを使って資産形成するだけでなく、老後は資産を活用して国民に豊かな生活を送ってほしいとの思いからだ。金融資産が増えても生活が変わらなければ、「貯蓄から投資へ」を訴え続けてきた意味がない。
同時に、国内の消費を拡大することで経済を成長させる目論見もある。経済が成長すれば株価上昇や税収アップが期待できる。
株価が上がれば政権の支持率も上がり、税収が増えれば財政再建への道筋も見えてくる。まさに「三方よし」の政策だ。こうした背景があるから金融庁の政策は時の政権や財務省の支持を得てきたのだ。
プラチナNISAによる毎月分配型の解禁もこの文脈から読み解けば「全くブレていない」(同庁の中堅幹部)といえる。
税制要望に反映も実現は不透明、「選挙を戦えない」と悲鳴も
プラチナNISAへの風当たりは厳しいものがある。特にネットでは「また年寄り優遇か」と辛辣だ。金融庁への投書やメールでも反対意見が圧倒的だ。それでも一度打ち出したからには簡単に引っ込められず、行政上の手続きは粛々(しゅくしゅく)と進みそうだ。
最初のイベントは8月末の税制改正要望だ。ここでプラチナNISAについてどのような書き振りになるかがポイントだ。恐らく、プラチナNISAや毎月分配型という言葉はなく「高齢者向けにNISAの対象商品を拡大する」といった表現にとどまりそうだ。
それが年末の税制改正大綱にどう反映されるかはNISAを所管する同庁の総合政策課のメンバーも局長クラスの幹部も「分からない」と口をそろえる。
政治主導で始まったにもかかわらず、政治家がプラチナNISAの不評にとまどい、「現役世代の反発が強い。これでは参院選を戦えない」といった悲鳴が永田町にこだましているからだ。
さらに波乱要因と見られるのが加藤勝信金融担当相の意向だ。同氏は毎月分配型の是非には触れていないが、「プラチナ」という表現とそのコンセプトが引っ掛かるようだ。一部の国民を特別扱いするニュアンスがあるうえ、「制度の対象者を年齢で制限することに違和感がある」という。
特に後者は加藤氏の持論で、「性別や年齢などを基準に仕事や政策を考えるな」と常々、職員に語っているほどだ。
しかも、7月の参院選を経て政権の枠組みが変わってしまえば、プラチナNISAが雲散霧消することも考えられる。「プラチナNISAはどうなるか分からない」と金融庁幹部が話すのは率直な感想といえる。
お金を使う金融経済教育、定時定額解約、そして毎月分配型 活用促進の本命は
「貯蓄から投資へ」の真の狙いである資産活用を促す選択肢もいくつか検討されている。一番の正攻法は金融経済教育の充実だ。これは資産を増やすかだけではなく、計画的な取り崩しや老後の生活設計も視野に入れたもの。だが、資産運用業界からすれば預かり資産を減らすことになるので、彼らの協力は得にくいだろう。
投信を定時定額で解約するシステムも有効だが、実績のあるシステム会社に開発を依頼するとかなりコストがかさむという。ネット証券や大手金融機関以外では難しそうだ。
結局、「毎月分配型が手っ取り早い」という結論に落ち着くことも否定できない。ただし、その場合でも全ての毎月分配型がNISAで扱えるわけではない。分配金の多寡ではなく、コストの水準が問題だ。
つみたてNISAでも対象商品のコスト、つまり信託報酬の水準が議論になった。「長期投資の最大の敵はコスト」との見立てからだ。
仮にプラチナNISAが成立するとして対象者は高齢者なので、長期投資ではないかもしれないが、一時的に元本払い出しに陥る恐れがありながら「高い信託報酬を課すのは説明が付かない」(金融庁幹部)と懸念する。
プラチナNISAでも一定水準の信託報酬で商品を線引きする可能性がある。少なくとも「足元での売れ筋の毎月分配型のようなコストは受け入れられない」(同)という。分配方針でもより説得力のある説明が求められるかもしれない。
「母は質素に暮らしていた」、家族の一言と担当者の悔恨
国民が豊かな生活を願うとは立派な心掛け、国家公務員の鏡だ。ただし、資産活用を促進する決め手が見当たらない。顧客も積み上げた資産に手を着けるのは気が引けるだろうし寿命がどのくらいかも分からない。だからこそ第三者のアドバイスが求められるのではないか。
冒頭に登場した地銀の担当者が10年以上前に販売現場にいたときの話だ。投信の大口顧客に高齢の女性がいた。女性が亡くなった後、遺族にいわれた。「母はかなり質素に暮らしていた」と。
年齢からみて女性に残された時間は多くない。相場もよいところに来ていた。「あのとき一部でも解約すべきだった。温泉に行ったり家族と食事に行けたりしたのに。担当者として自分は至らなかった」と彼女はいまも悔やむ。
残高を減らすことは当面のビジネスでは失点だろう。しかし、残された人から「あなたのおかげで母は最期の時間を楽しく過ごせた」といわれれば、担当者の鏡だ。そうした評判が次世代の顧客をつなぎとめるカギになる気がする。
