ほんのりタバコ臭が漂っている

それから約三十分後。和隆はワンフロア下の12階の廊下に立っていた。

和隆の部屋は南東の角部屋で、1312号室だった。だから、真下の部屋は1212号室のはずだった。

和隆が廊下を進むと、南東の角部屋の位置に、案の定、1212号室と書かれたプレートが貼られていた。

――ここが、真下の部屋かな……。

和隆はくんくんと臭いを嗅いでみる。ほとんど何も臭わないが、なんとなくほんのりタバコ臭が漂っているような気もする。

――とはいえ、何て言えばいいんだ……。

和隆は瞬時ためらった。下の階にもタバコを吸う権利はある。臭いが迷惑だからといって、あまり強く出るわけにはいかない。

――少し大袈裟に言うしかないか……。うちの妻が喘息持ちなので、とか……。

確かにそういう言い方なら、下の階も少し遠慮してくれるかもしれなかった。

――ウソも方便。とはいえ、こんな見え透いたウソをつくのは嫌だなあ……。

理系の和隆らしくそんなことを思った。だが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。

インターホンからドスのきいた声が…

和隆は心を決め、チャイムを鳴らした……。

「誰?」

インターホンから男性の声が聞こえた。太く低い、迫力のある声だった。人によってはドスがきいた声と表現するかもしれない。そんな声を予想していなかったため、和隆には緊張が走った。

「あ、あの、上の階の住人なんですが……」

「上の階?」

ドスのきいた声が繰り返す。

「は、はい……。1312号室です」

「ちょっと待って」

そう返事があり、バタバタと足音が続いて、やがてドアが内側から開いた。

その姿を見た和隆は思わずのけぞった。

「げ……」

ドアの中から、黒いTシャツに短パン姿の中年男性があらわれた。角刈りというのか、襟足を短く刈り上げている。首周りが太く、がっしりとした体形だった。

和隆がのけぞるほど驚いたのは、Tシャツ、短パンからのぞく彼の両腕・両脚に、びっしり刺青が入っていたからだった。

●階下の住人は何者だったのでしょうか? 後編:【「ヤクザだからって、ぼ、暴力はやめてください」67歳タワマン住民が怯えて眠れなくなったトラブルの顛末】にて詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。