――まず、最近の市場の動向について教えてください。
アート市場の動きは、経済状況や中央銀行の金融政策から大きな影響を受けます。たとえば金融緩和で市場にお金が余ると、物価上昇で価値が目減りするため、現物で持っていることが資産保全につながるという発想で、不動産ほどではなくともその何%かはアート市場に流れこむことになります。
加えて近年、日本国内の著名な実業家が相当規模の現代アート作品を購入して注目を集めたことで、誰でもある程度の資産を持つとアートを保有することが当たり前といった認識が確実に定着してきたと感じています。自身の会社で売上高が億単位になると、人生の過程として「そろそろアートにも関心を持つべきだ」といった意識を、投資的な意味でも教養的な意味でも抱くようになってきているようです。文化庁が今年公表したレポートで946億円とされる日本のアートの市場規模は、今後いっそう拡大していくと見ています。
――資産保全や投資の手段として、アート作品はどのような性質があるのでしょうか。
前提として、作品が取引される際の価格は変動していくものですが、私自身は精神を豊かにする力、すなわちアートの持つ「真の価値」は、決して変わることがないと思っています。
その上で、資産価値の変動という意味ではアートも株式と同様に、短期的、中期的、長期的な動きがあります。
短期的な売買は、存命の作家の生活を支える資金を供給する大切な役割があります。若い作家の作品を何点も購入し、そのうちの一握りの価値が上昇するという意味では、ベンチャー投資に近いものがあるかもしれません。ただ、短期的な価格変動はさまざまな関係者の意図や思惑が複雑に絡み合い、投機的な側面が大きいと言えるでしょう。
マスコミで集中的に取り上げられるなどして話題になっているものに投資をする人は少なくありませんが、流行の波は10年単位で変わってしまうことが多く、せっかく集めたコレクションの価値が下がってしまうリスクが否めません。たとえば30代、40代でコレクションを始めても、70代、80代で引退を考えた際に、いざ売ろうとしても市場価値がほとんど残っていなかったりすることがあり得ます。
ギャラリーにいる人間としては、50年、100年、あるいは何百年という単位で作品と向き合っていただきたいと考えています。入口はファッション的な関心でもよいのですが、奥に歩みを進むにつれ、自身のコレクションのあり方も徐々に成熟させていくといった時間の流れが好ましいのかもしれません。
アートと税制
――アートを所有する際に気になるのは、税金の問題です。日本の税制についてどのように見ていますか。
日本では節税というと不動産や車、時計などに向かうことが多いのですが、欧米のコレクターはまとまったコレクションを美術館に寄付することで、節税効果を得ています。アメリカなどは寄付税制が非常にしっかりしていて、税額控除の対象になっているからです。また、フランスでは、消費税にあたる付加価値税が20%ですが、アートは5.5%と大幅な優遇があります。
一方、日本の税制は美術品の売買に厳しく、アートを購入するインセンティブが大きいとは言えません。
私が理事を務めている組合の働きかけで、2015年から法人だけでなく個人事業主も含めて、1点100万円未満の作品については減価償却ができるようになりました。かつては20万円未満の制限があったのでまずは前進と言えますが、他国に比べればまだまだ制約の強い状況が残っています。
売却時の所得税については、売却益と原価をもとに課税所得を計算するのですが、原価が分からない場合には売却額の5%を原価とする、というかなり大雑把なルールになっています。この国の税制が土地や株式に比べ、そもそもアート作品の存在をあまり意識せずに作られたことがよく分かります。納税者であるコレクターと当局の間に流れる「見えない川」を越えて互いの理解が進むよう、組合では今後も政府への働きかけを継続していく考えです。
作品の価格はなぜ変わる?
――将来的に価値が維持できるような、あるいはできれば上昇するような作品を見定めるにはどうしたらよいのでしょう。
多作であること、シンプルかつ革新的であること、他の作家らに影響を与えていること、そしてその作家や作品を歴史の文脈に結び付けるテクスト(文献資料)が存在することなど、評価されやすい作家を見出すための着眼ポイントはいくつかあります。
一般的には、世界的に脚光を浴びている日本の作家は、ニューヨークや欧米の美術館やオークションで検証され、評価されるというパターンがほとんどです。ただ、アート作品の値段が上がるとき、それがなぜなのか、美術商に長年携わっている人々を含め、完ぺきに説明できる人は存在しません。
日本国内の作品については、日本人だけが好む作品群と、海外の人々が好む作品群が異なり、後者の方が比較的、価格が上昇しやすいといった傾向があります。
2000年代まで、中国のコレクターは自国である中国の作品にしか興味がありませんでしたが、2010年代以降は日本のものにも関心を持つ層が増えています。
足元で中国の現代美術の価格が高止まりしていることに加え、文革の影響で美術史上の「近代」に該当するまとまった作品が存在しないという特有の事情があり、ある意味で、日本で購入して持ち帰る作品がその空白を埋める役割を果たしていると考えられるでしょう。
加えて直近の数年では、中国以外の外国の方々も日本のアートを購入するようになり、銀座のギャラリー街の多様性が急速に強まっている印象です。
日本では戦後、前衛的なコンセプトで活動をしていたグループが存在し、海外の作品にも影響を与えていたことから最近、注目度が高まっています。彼らの作品は世界的に見て、ある意味で割安の状況になっていると考えられ、私のギャラリーでも直近、具体美術と呼ばれる系統の作品の取引を増やしているところです。
――富裕層からアドバイスを求められた際に備え、金融機関内でもアートへの関心が高まっています。見る目を養うために、何から始めたらよいのでしょうか。
まずはギャラリーや美術館に積極的に足を運び、古いものから新しいものまで、様々な作品を見て目を養うことが重要です。絵画だけでなく、映画や音楽など、アート以外のものにも触れて自分の感性を磨くことが大切でしょう。
ピカソやウォーホルのように、すでに評価が定まっている高額作品は、長期的な物価上昇の基調と同様に、将来的にある程度はさらに価値が上昇することが多いかもしれません。しかし本当に面白いのは、今はまだ見出されていないものの、将来的にアートを変える力を持つ作家を見つけ、中長期的な目線で応援していくことです。まだ十分に知られていない若手作家であれば、莫大なお金を費やさなくても作品を購入することができるはずです。
アートは精神性の鏡のようなもので、流行りものだけを追うコレクションは、自分自身も流行を追いかけるだけで、楽しみが長続きしないでしょう。アートへの興味を持つ入口はどこでも構いませんが、その奥には深い沼のような世界が広がっています。50年後、100年後にどう評価されるかという視点を持つことで、コレクションを築いていく面白さも深まるのではないでしょうか。
